名古屋市名東区一社の貴船神社と神蔵寺は柴田勝家の祖父である柴田勝重の居城跡といわれている場所です。
柴田氏は越後国蒲原郡新発田(かんばらぐん しばた)の発祥といわれる柴田氏は、尾張にやってきて斯波氏に仕え、明応三年(1494)に尾張国愛知郡社村に移り、一色村の城主となったといわれています。その時の居城が一色城です。
柴田勝重の墓
神藏寺の墓地にある柴田勝重の墓。前にあるのは石碑でその後ろが墓です。この柴田勝重が神藏寺を創建したといわれています。
通称は源六。土佐守を名乗っていたそうで息子に柴田勝義(勝家の父)がいます。文亀三年(1503)に亡くなりました。分かっているのはこれくらいで、どの様な人物だったのか?またどんな合戦でどんな活躍をしたのかなど詳細は不明です。
城を偲ぶもの
柴田勝重の居城・一色城址の遺構について、堀や土塁、石垣といったものは残っていませんがチェックしておきたいものがあります。それが地形です。周辺より高くなっており、高層マンションなど無かった時代はかなり遠くまで見渡せたと思います。神藏寺より隣の貴船神社のほうが一段高くなっているので、城はそちらだったのかもしれません。
神藏寺境内から南を望む。平山城みたいな場所にあることが分かります。
東の植田川は山のふもとみたいな場所を流れています。もしかすると一色城の天然の堀みたいに活用されていたのかもしれません。
私の感想ですが一色城は遺構はないものの、柴田勝家の祖父ゆかりの城なので、柴田氏に興味がある方はチェックしておくことをオススメします。ちなみに一色城址の東南1kmほどの場所に柴田勝家生誕地の下社城址があります。この周辺が柴田氏の所領だったのでしょう。