愛知県西尾市東向寺に桶狭間で討たれた今川義元の首塚がある理由とは

東向寺は愛知県西尾市駒場町にある寺院で、桶狭間合戦で討死した今川義元の首塚があります。

■東向寺の住所■

西尾市駒場町榎木島115

東向寺の地図

東光寺の創建は平安時代初期の貞観年間(859~877)、円仁(慈覚大師)によるとされ、創建当初は天台宗でした。

その後一時荒廃したものの、室町時代後期の明応年間(1492~1501)中島崇福寺開山天祐上人の弟子・光祐慧徳上人が入り、浄土宗に改めました。現在は浄土宗西山深草派。

第四世の徳順上人は、今川義元の叔父と伝えられ、甥の義元は深く帰依して供田を寄せたり、禁制を出したりしていたといわれています。

永禄三年5月19日(1560年6月12日)、今川義元は桶狭間合戦で織田信長に敗れ、討ち取られた義元の首は須ヶ口(現在の清須市)に晒されたました。

その後、鳴海城を守っていた今川軍の武将・岡部元信が鳴海城と引き換えに主君である義元の首を返却され、駿河に帰ろうとしますが…

なにせ初夏という事で首の傷みが激しく、今川家ゆかりの東光寺に義元の首と戦死者を埋葬したといわれています。

そんな今川義元の首塚は、東向寺の一般墓所とは少し離れた場所にありました。境内を抜けて奥に進むと看板が建っており、東向寺の歴史や義元の首塚について記載してあります。

墓所の一番奥の宝篋印塔(ほうきょういんとう)が義元の首塚といわれ、周辺の五輪塔は今川軍の戦死者の墓といわれています。

ちなみに一般的には、義元の首は岡部元信によって駿府に持ち帰られ、天沢寺(明治時代に廃寺)に埋葬されましたと伝わりますが、その首を埋めたとされる首塚がなぜ三河国の愛知県西尾市にあるのか?

これは私の推測ですが、義元の首の傷みが激しいという理由でここに首を埋めたとするならば、もしかすると駿河に持ち帰られたのは、義元の歯や遺髪ではと思います。

そう考えてみると、首塚が二ヵ所あっても不思議ではないし、納得もできますね。

もちろんこれは私の仮説ですが、現地でこういった謎について考えてみるのも、歴史の面白さのひとつだと思います。

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