吉良荘の地名の由来にもなった西尾市八ツ面山に残る雲母の坑道跡に行った感想

西尾市に八ツ面山(やつおもてやま)という、なんだか古墳みたいな山があります。実際に工事中に埴輪(はにわ)が発見されているので、巨大な古墳だったという説もあります。

>>八ツ面山の地図

それはさておき。西尾市ではシンボルみたいな八ツ面山ですが、現在の西尾市に深く関わる山なのです。今回はその歴史を深堀りしてみます。

地名の由来になった山

八ツ面山からは、雲母(うんも)という鉱石が採れました。雲母はキラキラ光る鉱石で、平安初期の医学書である大同類聚方(だいどうるいじゅほう)に『紀羅良薬(きららやく)』の記述があり、薬として重宝されていました。

また和銅六年(713)三河から雲母を献上したという記事が続日本紀(しょくにほんぎ)にあり、当時の租税制度である調(ちょう)として納めていたので、現在の西尾市周辺が中央の律令政治の支配を受けていたことがわかります。

またかつて西尾市周辺は吉良荘(きらのしょう)という荘園があり、それは八ツ面山から採れる雲母(きらら)が由来という説があります。

坑道跡へ

現在の八ツ面山にはかつての雲母坑道が残っています。場所は久麻久神社から展望台に向けて少し登ったところ。脇道に木製の看板があるのでそこを進んでいきます。

すると大きな案内看板がありますが、この看板の裏に坑道跡があります。実は雲母の坑道は明治三十三年(1900)に遭難事故、昭和六年に転落事故があり地元青年団により642ヶ所あった雲母坑道が埋められました。

その中でこの看板の後ろにある坑道は鉄格子から中を見ることができます。(入ることはできません)。私の感想ですが、埋められた後だからか、そんなに大きく広い穴ではなく、大人がひとり入ることができる程度だと思いました。この鉄格子からそのまま下に伸びています。

かつて西尾市には60の城や砦がありました。戦国時代前後、この地は吉良荘(きらのしょう)と呼ばれており、その由来の雲母の坑道が残っているのは興味深い事だと思います。

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