長久手合戦時に三好(羽柴)秀次が本陣を置いた白山林古戦場跡

尾張旭市の本地ヶ原神社周辺は、天正十二年(1584)の小牧長久手合戦の時、三好(羽柴)秀次が本陣を置き、徳川隊の奇襲を受けたといわれる白山林古戦場です。

■白山林古戦場跡の場所の住所■

尾張旭市南新町中畑237

>>白山林古戦場跡の場所の地図

天正十二年(1584)の小牧・長久手合戦では、織田・徳川連合軍と羽柴軍が対峙して膠着状態が続きました。

そこで羽柴軍の池田恒興が『家康の岡崎城を攻めれば、徳川軍は小牧山から動く』と考え、別動隊を組織して岡崎に向かいました。

しかし途中にあった岩崎城を攻めてしまい、休憩していたところを徳川軍に奇襲されてしまいます。

まず最初の標的になったのが、大将の三好秀次隊。

先鋒の池田恒興が岩崎城周辺の六坊山で休憩を取っていた時、後方の三好秀次は白山林(はくさんばやし)という場所にいました。現在の尾張旭市北本地ヶ原町周辺です。

※白山林の読みは はくさんばやし

尾張旭市南新町中畑237の本地ヶ原神社に、白山林の戦いについて看板があります。また境内には本地ヶ原神社の由緒が書いてある石碑もありました。

これによれば本地ヶ原神社の創建は、神亀(じんき)年間(724年~29年)、または宝亀年間(770年~781年)とされるので、小牧長久手合戦が起こった天正十二年(1584)にはすでにあったという事になりますね。

境内にあるもうひとつのチェックしておきたいものが、この天狗のかかと岩。戦国時代より以前の史跡です。

昔、この周辺に住んでいた天狗が、猿投山の仲間に急用で会いに行くことになりました。急いでいた天狗は、いつもより力強く飛んだのですが、その時に勢い余って岩に足がめり込んでしまいましたとさ。そんな昔話が残る岩です。

しかし調査の結果、7世紀頃に作られた尾張旭市唯一の古墳・天狗岩古墳の天井石だった様です。

もとは長坂町の矢田川の南にあった崖の上にありましたが、住宅開発のためにこの地に移されました。

神社の前には白山道という旧街道が通っています。また近くには北本地ヶ原1丁目の地名を示す看板がありました。

私の感想ですが、かつての白山林があった場所は、開発によって景色が変わってしまいましたが、神社に看板を置いてくれているので、戦国時代を偲ぶことができると思います。

ちなみにこの白山林で徳川隊から攻撃を受けた三好秀次は徒歩で逃げだし、木下勘解由(かげゆ)兄弟の支援を受けて、馬で長久手を離脱しました。

その木下勘解由兄弟が討死した場所が、長久手市の木下勘解由塚です。

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