家康の正室・築山の首塚が残る岡崎市祐傳寺と八柱神社のアクセス方法と感想

徳川家康の生誕地・愛知県岡崎市の祐傳寺と八柱神社に、家康の正室で徳川信康の母・築山の首塚があります。

なぜ岡崎市に彼女の首塚があるのか?まずは簡単に築山殿の生涯をチェックしてみましょう。

今川義元の姪

父は今川家の重臣で室町幕府の奉公衆でもある関口親永。母は今川義元の妹、または伯母ともいわれる女性で、もし妹ならば築山殿は義元の姪に当たります。

当時、今川家に預けられていた松平元信(後に改名して元康)と結婚。嫡男・信康と長女・亀姫を産みます。

しかし永禄三年(1560)の桶狭間合戦で義元が討ちとられると、夫・松平元康が岡崎城で今川氏から独立。子供たちと共に夫のもとへ引き取られます。

後に織田信長と同盟を結んだ夫・家康(元康から改名)は、嫡男・信康の正室として、織田信長の娘・五徳を迎えることになるんですが、築山殿から見れば息子の嫁は自分の伯父のカタキの娘という事になります。

徳川家内で、今川VS織田のおなごの確執が…

12ヶ条の訴状

後に五徳から父・織田信長に築山殿と夫・信康が武田氏に通じている等という12ヶ条の訴状が渡されました。

ここで信長は徳川家の重臣・酒井忠次に問いただしましたが、忠次は2つに関しては申し開きしたものの、後の項目は肯定もしませんでしたが否定もせず、結果、家康は築山殿と信康の命を奪う事になります。つまり織田信長の命令で妻と息子を一度に無くしたのです。

その築山殿の遺体は、静岡県浜松市中区広沢2丁目にある西来院に葬られ、首塚は岡崎市の祐傳寺と八柱神社にあります。

岡崎市祐傳寺

岡崎市の根石山祐傳寺。アクセス方法ですが、場所は岡崎市役所すぐ近くなので、カーナビやロードマップで行く場合、岡崎市役所を目指していけば分かると思います。

■祐傳寺の場所の住所■

岡崎市両町2丁目56

祐傳寺の場所の地図

門を入ったすぐ左のところにある、築山御前首塚。看板に五輪塔と書いてあります。

こちらは側面。中央の五輪塔の側に小さな一石五輪が2つありますね。

ところで築山殿が亡くなった時、ココに首塚が作られたのですが、江戸時代の正保三年(1646)、水野大監物が欠村石ヶ崎に首塚を移しました。これが現在の八柱神社です。

八柱神社

八柱神社のアクセスですが、岡崎女子大学のすぐ近くにあります。

■八柱神社の場所の住所■

岡崎市欠町石ケ崎52ー1

八柱神社の場所の地図

境内に入ると早速、築山御前塚(首塚)の案内がありました。

本殿の瓦には、徳川家の家紋である三つ葉葵が見られます。

こちらは八柱神社の石碑。御祭神がたくさん記載されてしますが、そのうちのひとつに築山神明宮が載っていました。神として祭られているんですね。

そして境内を奥に進むと…ありました!築山殿の首塚です。

なんか新しいな~と思いつつ石碑を見ると、昭和52年10月18日に改築されたとの事。ここにも三つ葉葵の紋が入っています。

私の感想

私の築山殿の感想ですが、徳川家康の正室として戦国史でも有名な女性なので、徳川氏の歴史に興味がある人にはオススメの史跡だと思いました。

また築山殿が本当に武田氏と内通していたのか?また五徳との仲が悪かったのか?この辺は最近歴史研究が進んで、いろんな評価がされています。

今後、今までのイメージと覆す説が出てくる可能性もありますよね。

祐傳寺も八柱神社も専用の駐車場があるので、車で訪れるのもOK。できれば岡崎城とセットで参拝するのが良いでしょう。

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