名鉄知立駅周辺の史跡巡り!知立神社や知立城そして旧東海道の史跡とは

 名鉄知立(ちりゅう)駅の城跡や史跡をまとめてみました!

 名鉄知立駅は、かつての東海道・池鯉鮒(ちりゅう)宿で、江戸時代や戦国時代ゆかりの史跡が固まっています。

 今回はそんな知立駅(池鯉鮒宿)ゆかりの史跡を紹介しますが、これらは現在の知立駅出発、解散で巡る事ができるので、電車を利用する際にも巡りやすいコースでもあります。

街道と城跡と史跡

 まず結果からいうと、名鉄知立駅周辺には、これだけたくさんの史跡や旧街道が集中しています。これは池鯉鮒宿が交通の要所でもあった事を意味していますね。

 では順番に史跡をチェックしてみましょう!

知立神社

 三河国の二宮(にのみや)ともいわれる知立神社には、いろいろと見るべきものがたくさんありますが、そんな中でも戦国関連といえば、重原城主・山岡氏が永正六年(1509)に再建した多宝塔があります。

 中には入る事はできませんが、重原城主の財力と権力を想わせる建物でもありますね。

知立古城

 江戸時代まで知立神社を務めた永見氏は、戦国時代にはこの地域に勢力を持った豪族でもありました。その永見氏の居城です。

 桶狭間合戦時、沓掛城に向かう今川義元が宿泊したといわれる城で、その後、天正年間(1573~93)に刈谷城主・水野忠重が織田信長饗応(きょうおう)のために御殿を作り、寛永年間(1624~44)には将軍が上洛する時の宿泊、休憩所として整備されました。

>>詳しい知立城について

宝蔵寺

 宝蔵寺には関ヶ原合戦直前に刈谷城主・水野忠重を暗殺した加賀井重茂望(重茂とも)の墓があります。加賀井重望、堀尾吉晴、水野忠重3人の酒宴で起った事件とは?

※詳しくはこちら⇒ 刈谷城主・水野忠重を倒した加賀井重茂望の墓が残る知立市宝蔵寺

総持寺

 総持寺(そうじじ)には、徳川家康の次男・結城秀康の生母である、お万の方の生誕の碑があります。お万の方は知立神社の神官だった永見氏の娘なので、現在の知立市が出身地なのです。

総持寺について⇒ 結城秀康の母・お万の方生誕地の石碑が建つ知立市の総持寺

東海道池鯉鮒宿本陣跡

 現在の名鉄知立駅周辺には、江戸時代の東海道が通っていたのですが、大名が宿泊する本陣があった場所も分かっています。それが池鯉鮒(ちりゅう)宿本陣跡です。

 今では遺構は残っておらず、石碑と案内看板のみですが、ここに大きな宿泊施設があって、参勤交代で江戸に向かう大名が泊まったと思うと、当時の様子を思い浮かべますね。

>>池鯉鮒宿本陣の場所の地図

刈谷道

 東海道から刈谷城に向かう街道がありました。それが刈谷道です。当時はこの道をまっすぐ進むと、刈谷城に行けました。

 現在では県道になっており、かつての街道も住宅地になっていて刈谷城に行くまでには建物にぶつかりますが、信号名の【刈谷道】が、かつての街道を偲ばせています。

吉良道

 そして街道をもうひとつ。東海道から三河吉良方面に行ける吉良道です。現在の愛知県西尾市ですね。

 西尾城、そして三河吉良方面に抜ける街道ということで、観光パンフレットにも記載があります。

 この吉良道も開発が進んで道幅は普通に県道ですが、刈谷道よりもまっすぐで道筋も長く残っており、当時の街道を偲ぶ道になっています。

私の感想

 名鉄知立駅周辺の戦国史跡や街道巡り、いかがでしたか?

 私の感想ですが、名鉄知立駅は特急、急行も停まる駅ですし、その知立駅周辺を歩いて周る事ができるくらいにこれだけ史跡が固まっている事は、非常に興味深ものだと思います。

 特に結城秀康、お万の方、そして永見氏に興味がある人は是非チェックしてほしいですし、知立古城は今川義元が桶狭間合戦の前に泊まったといわれる城なので、桶狭間合戦に興味がある人にもおすすめです。

 そしてお土産は元祖・小松屋の大あんまきですねw

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