愛知県西尾市の愛知こどもの国に名古屋城築城時の残石といわれる石があります。石の左半分が割られたような跡があり、矢穴跡も残っています。
なぜここに名古屋城に持っていくはずの石があるのか?その理由を地図と地元から考えてみます。
名古屋城の残石が残る場所
まずは公式サイトにも載っていない残石の場所について。愛知こどもの国はあさひが丘とゆうひが丘の2つのゾーンに分かれていますが、残石があるのはあさひが丘の方です。
入場するともらえる地図で説明します。マップA9からA10までの間、ちょうど岩みたいなものが記載されていますが、ここが矢穴が残る石が置かれている場所です。
そして現地
これが現地の石。言われないと分からないくらい、普通に道の横に置いてあります。
石の上を見てみると等間隔で穴が空いていますよね?これは石を割る時に掘る矢穴(やあな)の跡です。

↑これは名古屋城の加藤清正像の横に置いてある石の割り方を解説したもの。簡単に言うと、石には割れる目があり、それに沿って等間隔で溝を掘ります。これが矢穴です。その矢穴に杭を打ち込み叩くと石が割れるという仕組みです。
なぜここにあるのか?その理由
この矢穴石は昔から同じ場所にあるのか?また公園整備の時にどこからか持ってきたものなのか?愛知こどもの国に聞いたところ、よく分からないとのこと。
その理由ですが、愛知こどもの国は昭和49年(1974)、つまり50年という半世紀前にに開園された公園で、開園当時のスタッフもいなければ、園内の石に関しての資料も残されていないということです。
ただ気になるのは、愛知こどもの国がある三河沿岸部は、名古屋城築城時に諸大名が石垣の石を切り出した場所です。もしかすると愛知こどもの国がある山も採石場だったのかもしれません。
名古屋城から遠く離れた三河湾沿岸の愛知こどもの国ですが、石垣の石で名古屋城とのつながりを感じるスポットです。