加賀百万石の礎を築いた前田利家。
彼は武勇だけでなく、人の扱いにも長けていたんです。今日はそんな利家の家臣に対するエピソードを紹介します。
利家の家臣に【富田】という武将がいました。
この富田は頑張り屋で、利家も目をかけていた武将でした。
『もっと富田が手柄を上げれば、褒美を与えてやれる』。
家臣思いの利家は富田をさらに頑張らせるために一計を案じました。
ある日、出陣前の利家は富田にこう言いました。
『今度の合戦は不破を一番手にしたい。すぐに叩き起こして私のもとに駆けつける様に言って来い!』
しかしこの不破という家臣は、かなりのノンビリ屋で急いだことがなかった武将です。
案の定、不破はかなり遅れて利家の元へやってきました。
しかし利家は不破を責めず、なんと富田を責めました。
『不破が遅れたのはおまえのせいだ!お前はいったいどこでなにをしていたのだ?』
これに富田は反論し、
『私は殿から命じられてすぐに不破のところへ行きました。不破が遅れたのは不破がノンビリ屋だったからです』
これに利家は首を振り、
『いいや!それは違う。お前の行動が遅いから、不破が遅れたのだ!』と一喝しました。
これに富田は真っ赤になり、戦場ではまっしぐらに敵陣に切り込み、敵を倒し利家本陣に戻ってきました。
『殿!私の行動は決して遅くはありませんぞ!』
やや興奮気味の富田でしたが、一番槍の戦功です。
これに利家は満足気でした。
この逸話からわかる事は、褒めて励ますだけではなく、叱って励ますという方法もあるのですね。
※前田利家は名古屋市中川区の出身です。彼が居城していた【荒子城】は現在、神社と住宅地となっています。
駅前には利家の銅像もあり、彼が未だに地域の方に愛されていることがよくわかります。