ある時、家康の側近達が歴史上の人物の話をしていたのを、家康が聞いていました。時代はだんだん過去になっていき、そして鎌倉幕府開祖の源頼朝の話になった時、
『頼朝は確かに偉い だが彼は血を分けた弟(源義経)を無残に殺している。これは少なくとも、第一級の人物に値しない行為だ』
という意見がちらほら出てきました。
これに対し家康は、
『その見方は間違っている 天下を治めるものは常に一人だ。その他の兄弟は血縁とはいえ、家人同様絶対に服従しなければならない。その事を忘れて、血縁に甘え、規律を乱すような事があれば天下の為に制裁を加えるのが筋道というものだ。ただ弟を殺したから酷い人間だ、というような表面上な見方をしては頼朝の真価を充分に捉えたとは言えまい。頼朝の行為は非情ではあるが、決して間違ったことではない』
この家康の言葉に、家臣たちは返す言葉がなかったそうです。家康は頼朝に対して特別な想いを持っていたともいいます。
それは家康が幼少の頃、織田家の人質として尾張の熱田にいた時、彼が幽閉されていた屋敷の近くに頼朝生誕地といわれる場所がありました。幼い頃の家康も訪れていたのではないのでしょうか。
さて、現在の熱田神宮周辺には、かつて徳川家康が幽閉されていた加藤順盛の屋敷跡である熱田羽城をはじめ、安土城を築城した大工の棟梁・岡部又右衛門の屋敷跡など、史蹟が固まっています。
熱田神宮には桶狭間合戦で勝利した織田信長が奉納した信長塀もありますし、熱田神宮を参拝した後、セットで史跡巡りというのも良いですね。
これらのコースは、私が講師を務める愛知ウォーキング城巡り倶楽部の散策会でも歩いた史跡群で、なかなかの好評でした。
次の記事に見どころポイントをまとめてあるので、あなたが熱田神宮に参拝した時にチェックしてみるのも良いですね。
>>信長塀だけじゃない!熱田神宮参拝とセット可能の8つの戦国史跡