江戸幕府を開いた徳川家康は戦国時代を勝ち残った人物として知られています。だからきっと彼自身、有能な人物だったのでしょう。しかし家康には、愛知県で三英傑として讃えられている、織田信長、豊臣秀吉には無い特殊能力が有りました。それは、動物から好かれるという特殊能力。
なぜかというと、徳川家康は記録に残るだけで生涯に3回動物に助けられた歴史があるのです。ではどんな動物たちが家康の命を助けたのか?愛知県に残る史跡からエピソードをチェックしてみましょう。
本多忠勝の兜ネタになった鹿
永禄三年(1560)、松平元康(後の徳川家康)は今川軍として尾張に出陣していました。しかし主君・今川義元が織田信長に討たれ、元康は三河に逃れます。この時、矢作川(やはぎがわ)が増水しており渡ることができませんでしたが、鹿が現れて浅瀬を渡り始めます。元康一行はその浅瀬を渡り、大樹寺に着くことができました。ちなみに本多忠勝はこの時の鹿にあやかり、兜を鹿角のデザインにしたといわれています。
洞窟からハト
桶狭間の戦いの後、織田信長と同盟を結んだ家康でしたが、次なる困難が待ってました。三河一向一揆です。三河の有力な寺と敵対した家康は、局地戦で敗北し、洞窟に逃げ込みます。一揆勢の追手が洞窟に近づくと、洞窟から鳩が2羽飛び出しました。
『鳩が洞窟にいるくらいなら人はいないだろう』とう思った追手は洞窟の中を探さずに立ち去りました。家康は鳩のおかげで追手に捕まらずに済んだのです。
早く鳴いた鶏
とある合戦で徳川軍は武田軍に敗走し満光寺に逃げ込みました。家康は住職に『明日の朝、一番鶏が鳴いたら起こしてくれ』と頼み眠りにつきます。しかし真夜中に鶏が鳴き、住職はしぶしぶ家康一行を叩き起こしたのです。
鶏が鳴いたから仕方ないということで、家康一行は満光寺を出立しますが、その直後、武田軍が寺を取り囲み、家康たちは一命を取り留めました。後にこの鶏に対して、三石の褒美が与えられたのでした。
私の感想
私の感想ですが、徳川家康はやはり動物に好かれるというか、動物たちの不思議な力を借りることができた武将だったと思います。その理由は同じ三英傑の織田信長や豊臣(羽柴秀吉)には、こういった動物絡みのエピソードはたくさん無いからです。
今回、エピソードと共に紹介した徳川家康ゆかりの史跡は、3つとも愛知県にあります。城巡りや史跡めぐりの時、セットで巡ると満足度が上がると思うのでオススメです。