徳川家康の娘・亀姫の付き添いになった生田四郎重勝の居城

生田城(しょうだじょう)について。三河国二葉松には城主について酒井彦四郎、石川又四郎、生田六左衛門と記述があります。浅野文庫蔵・諸国古城之図にも記載がある城で、出入口二ヶ所に枡形が用いられ、性格的にはどこかのお城の出城的なものだったそうです。

酒井彦四郎については詳細不明。石川氏の後、生田氏が代々居城していましたが、家康の娘が奥平氏に嫁ぐとき、付人となったため廃城になったと伝わります。

>>生田城の地図

石碑について

生田城

明和年間に生田四郎重勝が徳川家康公の姫御前が豊前中津藩に御輿入れになった際に付き添い武士として栄任された時の庄屋本間幾右衛門重勝に其の後始末を一任されて廃城になった。

この石碑で疑問なのが、明和年間(めいわねんかん)とは1764~72で江戸時代中期です。ここに出てくる豊前中津藩に御輿入れになった徳川家康公の姫御前とは、徳川家康長女・亀姫と考えられており、亀姫は寛永二年(1625)に亡くなっています。内容がズレています。

周辺の地形

生田城周辺は平地が広がっており、湿地帯に囲まれた館城だったと思います。

カシミール3Dスーパー地形より。これで見てみると、北~東を流れる乙川の流域にあった城で平地の地形というのがわかります。周辺の湿地帯は田んぼで、米が多く収穫できた肥沃な土地だったのでしょう。

私の感想

私の岡崎市生田城址の感想ですが、平城で遺構もなく、石碑だけ残る城ではありますが、これも岡崎市のローカルな史跡ということで、徳川家康長女の亀姫や奥平信昌につながる史跡だと思いました。

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