一宮市蓮池首池の地名の由来は戦国時代の小牧長久手合戦だった

一宮市に蓮池首池というちょっと怖い地名があります。実はこの地名、戦国時代に起きた小牧・長久手の戦いがもとで付いた地名といわれています。

>>蓮池首池の場所の地図

蓮池首池の由来

小牧・長久手の戦いの城跡を歩く(内貴健太著)に蓮池首池の事が書かれているので要約すると次の通り。

加賀野井城主・加賀野井弥八郎重望(かがのい やはちろう しげもち)は織田信長の次男・織田信雄に仕えていました。小牧・長久手の戦いで信雄に敵対した羽柴秀吉の軍勢に加賀野井城は攻められます。

加賀野井城は耐えきれず降伏を申し出ましたが許されず落城。多くの兵が討ち取られました。その首を並べたのが一宮市蓮池とのこと。また秀吉も並べられた首を見物した後、首を池の中に沈めたといわれます。

なぜこの場所に晒したのか?

一宮市蓮池首池は加賀野井城から直線距離でも2km離れており、木曽川を挟んでいます。なぜ城で討ち取った首をこんなに離れた場所の堤にさらしたのか?これは私の仮説ですが、人が多く通る街道沿いにあったからだと思います。

実は一宮市の蓮池首池は美濃路(みのじ)という街道沿いにあるのです。美濃路は江戸時代に整備された街道で、中山道(なかせんどう)と東海道を結んでいるバイパスみたいな道でした。江戸時代の整備されたものの、ゼロから開拓されたのではなく、もとは何かの街道があって、それを拡張や整備された道と思われます。

街道は多くの人も通ります。だから見せしめの意味でも討ち取った城兵の首をこの街道沿いの池に並べたのではないでしょうか。

蓮池首池の200m北には美濃路の現存一里塚である冨田一里塚も残っています。私の感想ですが、この史跡はあまり知られていないマイナーな史跡ではありますが、郷土史レベルの戦国史を知ることができるので貴重だと思います。まさに地名に歴史ありですね。

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