愛知県一宮市の妙興寺(みょうこうじ)は、戦国時代に剣豪、剣聖といわれた新陰流の使い手・上泉信綱が修行していた寺で、その弟子だった柳生 宗厳(やぎゅう むねよし)が無刀取りを考案した地といわれています。
時代劇でも有名な柳生新陰流。これはもともと新陰流といい、上泉伊勢守信綱が考案し、弟子だった柳生宗厳に伝えた流派といわれます。その上泉伊勢守信綱が修行していた場所が一宮市の妙興寺なのです。
■泉伊勢守信綱居士修道跡の住所■
一宮市大和町妙興寺妙興寺境内
無刀取りのエピソード
上泉伊勢守信綱と弟子の柳生宗厳が妙興寺で修行していた時のこと。刀を持った乱心者が現れ、子どもを人質に取り立て籠もる事件がありました。
この時、上泉伊勢守信綱は素手で乱心者に立ち向かい、見たこともない技で乱心者を取り押さえます。それを見ていた弟子の柳生宗厳は、かねてより信綱から出されていた課題・無刀取りを完成させました。
今に伝わる無刀取り
無刀取りはどんな刀法なのか?興味深い内容が日本史人物事典に載っています。
これによると、乱心者が子供を人質に取り立て籠もった時。上泉信綱は通りがかった僧侶の衣服を借りて、髪を剃り落とし、自分が坊主に成りすましました。
そこで大きなおにぎりを2つ手にして、立て籠もった乱心者に近づきこう言います。「私は旅の僧だ。腹が減っておるであろう?まあ、握り飯でも食べてはどうか?」と。空腹だった乱心者に上泉信綱は大きなおにぎりを投げます。
1つ目をキャッチした乱心者。そして2つ目のおにぎりを投げた時、両手におにぎりを持ち、それを確認した上泉信綱は飛びかかり、乱心者を取り押さえたそうです。つまりおにぎりで、刀を持てる両手をふさぎ、取り押さえたということですね。
これ見ると、刀法じゃない気もしますけどね。兵法みたいな作戦というか…
そして現場
そんな妙興寺ですが、本堂の前に上泉伊勢守信綱居士修道跡と刻まれた石碑が建ってます。
石碑の隣に建つ看板。ここにも上泉伊勢守信綱が修行していた事と柳生宗厳の無刀取りについての説明があります。
ちなみに無刀取りについては詳しくは分かっておらず、通説ですと無刀取りには3つの形があるとか。
私の感想ですが、妙興寺の敷地内に一宮市歴史博物館があり、一宮市内の城跡や戦国史跡の展示もあるので、この無刀取り発祥の地もセットで訪れることをオススメします。