愛知県岡崎市の糟目犬頭神社(かすめけんとうじんじゃ)に犬を葬った塚といわれるものがあります。しかしこれは犬を葬った神社ではなく、足利尊氏のライバルだった新田義貞の首塚といわれているんです。
ではなぜ新田義貞の首塚が犬塚なのか?実は地元に伝わる深いワケがありました。この記事では糟目犬頭神社に伝わる犬塚と新田義貞の首塚について説明します。
■糟目犬頭神社の場所の住所■
岡崎市宮地町馬場31
犬塚の話
貞和( じょうわ 、ていわ)二年(1347)頃、上和田城主(現在の岡崎市上和田町)・宇都宮泰藤が糟目犬頭神社付近で鷹狩をしていました。この時、神社の大木のふもとで休憩がてら昼寝をしていると、木の上から大蛇が現れ、泰藤を飲み込もうとしました。
その時、泰藤の愛犬が危険を察知し、吠えて泰藤に危険を伝えましたが、寝ぼけていた泰藤は気分を悪くし、愛犬の首を刀で刎ねてしまいます。すると犬の首は大蛇に向かって飛んでいき、首に噛みついて大蛇を殺してしまいました。この時、泰藤は初めて、愛犬が自分に危険を知らせようとしたことに気が付きました。
泰藤は大いに悲しみ、犬の遺体を糟目犬頭神社に埋葬したといわれています。それが現在に残る犬塚です。
なぜ新田義貞?
地元に伝わる話ですが、この首塚は新田義貞のものといわれています。その経緯を簡単にいうと、京都で獄門にかけられていた新田義貞の首をかつての家臣だった宇都宮泰藤が奪い、糟目犬頭神社に埋めて、犬の伝説を作ったといわれているんです。つまりカモフラージュですね。
また宇都宮泰藤はこの首塚に柵を作った者に柵木、塚を築いた者に犬塚という姓を与え、義貞の首塚を守らせたとか。そして宇都宮泰藤自身は出家し、隣の妙国寺で新田義貞の菩提を弔い、一生を終えています。
ちなみに糟目犬頭神社は、その後、足利尊氏から社領を寄進されており、もしかすると尊氏は新田義貞の首塚の存在を知っており、あえて供養のために社領を寄進したのかもしれませんね。
首塚の現在
現在、首塚といわれている場所は、池の中の島にあり、まるで弁天様を祀っているみたいな場所にあります。島に渡る橋が不安定なのか、渡ることが禁止されています。
中央の祠(ほこら)がある場所が新田義貞の首塚といわれている場所です。
私の感想
糟目犬頭神社は私が講師を務める愛知ウォーキング城巡りクラブの歴史探訪ウォーキングでも訪れました。その時の参加者の意見として、新田義貞の墓は他にもあるものの、愛知県岡崎市にもあるのは知らなかったというものが多かったです。
私の感想ですが、これが新田義貞の首塚かどうかはともあれ、こういった伝説?が伝わる事自体、新田義貞に関する何かがあったのでしょうね。ちなみに糟目犬頭神社は戦国時代、徳川家康に仕えた本多作左衛門重次の生誕地でもあり、宇都宮泰藤は戦国時代に家康に仕えた大久保氏の先祖にあたる人です。
新田義貞も宇都宮泰藤も南北朝時代の武将ですが、戦国時代とつながっているのが面白いですね。