源平討魔伝の主人公・平景清の屋敷、墓、菩提寺が大府市にあった!

大府市吉田町と半月町には平安時代末期~鎌倉時代初期に活躍した武士・平景清(たいらのかげきよ)ゆかりの地があります。それが屋敷跡といわれる景清神社、菩提寺の常福寺、そして墓所の生目八幡宮(生目神社)です。

※生目八幡宮の読みは いきめはちまんぐう

ゲームの主人公にもなった平景清

かつてファミコンやPCエンジンなどのテレビゲームで人気があった源平討魔伝の主役になったのが平景清です。所有していた名刀・あざ丸が目に災いをもたらす逸話が残り、信長公記にも丹羽長秀とあざ丸のエピソードが記載されています。その平景清ゆかりの地が大府市にあるのです。ではそれぞれの史跡をチェックしてみましょう!

景清神社(屋敷跡)

まずは平景清が住んだといわれる屋敷跡です。それが大府市吉田町の景清神社。大府市に伝わる話では、元暦二年(1185)の壇の浦の戦いで敗れた平景清は、尾張国まで逃げ延びました。地元の名主・浅田八太夫は景清を保護し、名水が湧く芦沢の井の場所に屋敷を建て住まわせたそうです。それが現在の大府市吉田町の景清神社です。

■景清神社の場所の住所■

大府市吉田町1丁目246

>>景清神社の場所の地図

入り口には平家をイメージしてか赤い鳥居があり、横に景清公之旧跡 芦沢の井という石碑があります。

景清神社の看板。これを見ると景清は藤原秀郷(ふじわらのひでさと)の子孫で藤原景清が元の名前だった様です。平家側で活躍したので平姓で呼ばれたのですね。また悪七兵衛の【悪】は悪い人という意味ではなく、強者(つわもの)という意味もチェック!

景清神社の境内は広くなく、奥に芦沢の井がありました。今ではポンプ式で井戸水を汲み上げることができるみたいです。この芦沢の井の水は眼病に効くという言い伝えがあります。

常福寺(菩提寺)

次は大府市半月(はんつき)町にある常福寺。ここは平景清の菩提寺です。景清神社から約350m、徒歩での所要時間は約5分ほどの近い場所ですが、町名は半月町です。ちなみに大府市半月町の地名の由来ですが、平景清が千手観音を半月(約15日)ほどで彫ったことからこの地名が付きました。またその千手観音は常福寺の本尊でもあります。

■常福寺の場所の住所■

大府市半月町3丁目151

>>常福寺の場所の地図

知多四国霊場の六番札所でもある常福寺。 常福寺は建久年間(1190~99)に平景清が開創したといわれ、当初は現在みたいな立派な寺ではなく、自分が彫った千手観世音菩薩を安置した草庵でした。境内には平景清の事を説明した石版があり御朱印も受ける事ができます。

生目八幡宮(墓所)

常福寺から南に約200mのところにある生目八幡宮(生目神社)は、平景清の墓といわれています。※生目八幡宮の読みは いきめはちまんぐう

■生目八幡宮の場所の住所■

大府市半月町3丁目171

>>生目八幡宮の場所の地図

近くまで行くと高いところにあるのがわかります。まるで古墳みたいです。

そのまま登ると祠があり、この裏が墓地みたいです。

所要時間と私の感想

今回紹介した景清神社(景清屋敷)、常福寺、生目八幡宮(生目神社)は、徒歩で歩いて周っても約30分ほどで完結できます。私の感想ですが、愛知県って戦国史跡が有名ですが、源平時代(平安末期~鎌倉初期)の史跡もチラホラあるので、この時代が好きな人も楽しめると思いました。

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