豊明市前後町の名鉄前後駅のすぐ近くを江戸時代の東海道が通っていますが、興味深いものが2つあります。まずは江戸時代に作られた現存の東海道の道標です。現在ではかなり風化しており、正直、なんて書いてあるかよく読めません。
でも大丈夫!道標の横に解説板がありますから。これを拡大してみましょう。
スマホだとまだ見にくいですかね?解説板の文面を書き出してみます。
●道標刻字
東面 南無阿弥陀仏
西面 文化四丁卯(ひのとう)
南面 是ゟ(これより)くつかけ、祐福寺、さなけ、ふくた原道
解説
道標の文面を簡単に解説します。
●文化四年⇒ 1807年
●くつかけ⇒ 沓掛(今川義元が桶狭間合戦の前日に宿泊したといわれる沓掛城がある場所:豊明市)
●祐福寺⇒ (愛知郡東郷町春木にある古刹)
●さなけ⇒ (猿投:豊田市)
●ふくた原道⇒ (福田:みよし市)
個人的な感想ですが、ここでのポイントは道標ともうひとつ、東海道から分かれる旧街道(道標ではふくた原道)だと思います。
その旧街道(道標ではふくた原道)というのが道標の横に通る小道。東海道は幕府が作ったいわば公式の街道ですが、ふくた原道は地元で使われていた街道なのです。正直、かなり細く狭いです。
説明板に記載してあった天宝十二年(1841)の五軒屋新田絵図。これをよく見てみると東海道と旧街道(ふくた原道)が記載されています。
私の感想ですが、鎌倉街道もそうですが地方の地元に伝わる街道ってかなり細くて狭いです。東海道が異常なくらい広い。このふくた原道もいつ作られた街道なのかわかりませんが、戦国時代からあったものか?もしかするとそれ以前からのものか?街道について調べてみるもの面白そうですね。