大府市若草町3丁目の新池のほとりに神明社がありますが、そこに青木塚という丸い塚があります。これは戦国時代、水野信元と松平元康が戦った石ヶ瀬合戦の落ち武者を葬った塚といわれています。石ヶ瀬合戦とは何か?そしてなぜここに落ち武者の塚があるのか?簡単に説明します。
■青木塚の場所の住所■
大府市若草町3丁目
石ヶ瀬合戦とは
石ヶ瀬川の戦い(石ヶ瀬合戦)とは、永禄元年~四年(1558~61)にかけて、大府市と東浦町の境界付近で3度行われた合戦です。戦ったのは当時、知多半島に大勢力を持っていた緒川城主・水野信元と岡崎城主・松平元康(後の徳川家康)。
松平元康の母の兄が水野信元なので、2人は伯父、甥の関係なのです。
この石ヶ瀬の戦いは決着はつかず、松平元康が水野元信の同盟者だった織田信長と同盟を結んだことにより、水野元信と松平元康も戦う理由が無くなり、それ以後戦うことはありませんでした。
青木塚の由来は?
地元の大府市に伝わる話です。石ヶ瀬合戦の時、松平軍に加勢していた今川軍の中に青木某という武者がいました。青木某は弓の名手で、数多くの合戦で手柄を立てて来た武将でもあったのです。しかし水野軍には織田信長からの援軍もあり、火縄銃(鉄砲)で青木某も甲冑を打ち砕かれて負傷し、敗走することになりました。
現在の若草3丁目あたりまで逃げ延び、近くの村の人々に助けられ手当を受けましたが、とうとう亡くなってしまいます。その青木某という武将を葬ったのが青木塚です。
アクセス方法
では青木塚への行き方を説明します。とても簡単です。まずは大府市若草三丁目の神明社を目指します。駐車場は無いので車でアクセスする際は、駐車可能な、しかるべき場所に車を停めてください。
神明社の鳥居の横に丸い花壇みたいなものがあります。これが青木塚です。碑には次の様な文字が刻まれていました。
石ヶ瀬川合戦之地 向山新池青木塚
向山新池とは旧地名の様です。私の感想ですが、これぞ郷土史レベルの史跡で、地元の戦国史を感じることができるものと思いました。石ヶ瀬合戦もマイナーな戦いですが、織田信長と松平元康(後の徳川家康)が同盟を結ぶ過程の戦いなので、これも貴重な戦国史だと思います。