愛知県豊明(とよあけ)市にある、桶狭間古戦場伝説地でチェックしておきたい史跡やポイントを説明します。
まずアクセスですが電車で訪れる場合、最寄り駅は名鉄(めいてつ)線の中京競馬場前駅なので、そこで降りて歩いて桶狭間古戦場伝説地へ向かうと便利です。
以前の記事に詳しい電車アクセス方法を説明したものがあるので、チェックしてみてください。
>>地図で説明!名古屋駅から電車で豊明市桶狭間古戦場伝説地への行き方
では早速史跡巡りですが、結論から言うとポイントは大きく分けて、高徳院というお寺と古戦場公園の2つです。
高徳院
高徳院は明治26年(1893)に高野山より寺の名を請い受けて建立された真言宗の寺院です。緑区の長福寺みたいに桶狭間合戦当時はありませんでしたが、高徳院が建つ場所は豊明側では今川義元の本陣があったとされる場所です。
高徳院の本堂前にある今川義元公本陣跡の石碑。この石碑は高徳院のふもとにある古戦場公園に義元のご子孫の方が建立されようとしましたが、古戦場公園は指定史跡のために新しく石碑を建立することができなかったのです。
そこで高徳院の山門をくぐったところに石碑を建立されたのですが、豊明市側の見解では、義元本陣は高台ではなく、古戦場公園がある低い場所との事。
そして高徳院の墓地にある松井宗信の墓。宗信は遠州二俣城主(現在の静岡県浜松市天竜区二俣町二俣)で、桶狭間合戦時は高根山に陣を置いていました。
見落としやすい史跡なので要チェックですね。
桶狭間古戦場公園
そしてメインになるのが桶狭間古戦場公園です。中京競馬場前駅からだと、この古戦場公園の方が一番近くにあります。
さて、石碑をよく見ると史蹟桶狭間古戦場という文字がありますが、右下に何やら小さな文字があるんです。これを拡大して見ると…
なんと傳説地(でんせつち)の文字があります。つまりこれで史蹟桶狭間古戦場傳説地と読めますね。後から継ぎ足したのでしょうか?
これが豊明側の桶狭間古戦場公園の地図。たくさんの石碑が建立されていますが、そのほとんどが江戸時代のものです。
現在の国道1号線近くに江戸時代の東海道が走っており、江戸時代にはすでに観光名所みたいになっていました。東海道を行き来する旅人たちも多く立ち寄った事から、こういった石碑を建てわかりやすくしたのでしょう。
今川義元の墓
桶狭間古戦場公園の中にある今川義元の墓。これは明治9年(1876)に有松町の山口正義という人が建立したものです。自然石に【今川治部大輔義元墓】と刻まれています。
ちなみに毎年6月の第1土日に桶狭間古戦場祭りが行われますが、その時の供養祭はこの墓の前で行われます。
おばけ地蔵
このお地蔵さんは、おばけ地蔵という怖いなを持ったお地蔵さんです。江戸時代に個の周辺で武者の幽霊が頻繁に出たそうです。
しかしこのお地蔵さんを建立したら、ピタっと幽霊が出なくなったということで、おばけ地蔵という名前が付きました。
佛式の今川義元の墓
今川義元の三百回忌である万延元年(1860)に建立された佛式の墓。当時から観光名所となっていたようです。
よろいがけの松
名鉄・中京競馬場前駅のホームすれすれの場所に建つ石碑。豊明側では、合戦後に信長がここで小休止をとるため鎧(甲冑)を松の木にかけたという言い伝えが残っており、その場所を示したのがこの石碑です。
いかがでしたか?
豊明桶狭間古戦場伝説地には、このほかにも江戸時代の石碑などたくさんありますが、ポイントを絞っても、最低限、これだけはチェックしておきたい史跡をピックアップしてみました。
豊明桶狭間古戦場伝説地を訪れた際には、是非、これらの史跡をチェックしてみてください。