愛知県新城市の地名の由来はやはり城だった!新城城と新城古城

 愛知県の三河地方に新城(しんしろ)市という地名があります。

 地名的にはあまり聞かないかもしれませんが、愛知県の戦国時代を語る上で非常に重要な場所でもあります。

 具体的にどんな史跡があるのかというと次の通り。

・長篠設楽原古戦場

・日本100名城の長篠城

・続日本100名城の古宮城

・鳥居強右衛門が有名な場所

・武田信玄が生涯最後に攻めた野田城

など。

 こうやって見ると愛知県の戦国史を語る上でも重要な場所ということがよくわかりますね。

 さて、その新城市ですが市名に【城】という漢字が付くからには、これも戦国に関係するのではないか?という疑問もあります。

 そこで調べてみると、やはり戦国というか城に関係していました!

 ではどんな意味があるのか?新城という【新しい城】というのは一体何なのか?今回はそんな新城市の地名についてです。

新しい城って?

 新城市に新城城(しんしろじょう)という城跡があります。現在の新城市立新城小学校がその場所です。

■新城城址の場所の住所■

新城市西入船76

新城城址の地図

 現在は思いっきり小学校になっていますが、戦国時代、この地には新城城という城があり、その新城城が現在の新城市の市名の由来になっています。

 新城市の公式サイトには次の様な説明があります。

 新城の名前の由来は、長篠・設楽原の戦いで功績のあった奥平信昌が徳川家康の長女亀姫をめとり、現在の新城小学校の地に新しい城を築いたのが、「新城城(しんしろじょう)」です。天正4年(1576年)のことでした。「新城城(しんしろじょう)」と名付けられたのは、それより44年前の天文元年(1532年)に菅沼定継という殿様が石田の崖上(幽玄川河口)に築いた城が「新城(しんじょう)」と呼ばれており、それと区別するためで、これが「しんしろ」の名の由来です。

>>新城市公式サイト

 この説明を補足すると、天正三年(1575)に起こった長篠設楽原の戦い後、勝利した側で長篠城主の奥平信昌が、新しい城を築いて拠点を移したのが新城城です。

 ※長篠設楽原の読み方は『ながしのしたらがはら』

 合戦で長篠城の損壊が非常に激しく、武田氏の勢力が大きく後退すると思われたので、新しい城を築いて拠点を移したのですね。

 現在は基本小学校なのですが、かつての新城城時代の遺構というか名残ががチラホラ残っています。

新城城址

 まず小学校の入り口。城門チックに作ってあります。城跡ですもの。

 小学校の近くにある大手門通り。かつての大手門(玄関口)があった場所です。現在では普通に道路になっていますが、こうやって石碑があるとよくわかりますね。

 的場(まとば)の信号。たぶん新城城時代に弓矢や鉄砲の訓練所(的場)があった場所なのでしょう。

 城由来の地名は、こうやって字名になり、またはそれが信号名になって残っている場合が多いので、信号待ちしている時、さりげなく信号名をチェックしてみるのも良いですね。

 新城小学校近くにあったアパート。住みたいぃぃぃぃぃぃ!(笑)

 ここに住むと住所の最後がハイツ二の丸となるので、手紙やハガキを送るときにちょっと自慢になりそうな気がするw

新城とは?

 新城市公式サイトには次のように書かれています。

「新城城(しんしろじょう)」と名付けられたのは、それより44年前の天文元年(1532年)に菅沼定継という殿様が石田の崖上(幽玄川河口)に築いた城が「新城(しんじょう)」と呼ばれており、それと区別するためで、

 この菅沼定継という殿様が石田の崖上(幽玄川河口)に築いた城というのが、現在、城郭研究でいわれている新城古城という城跡です。

これが新城(新城古城)

 菅沼定継が天文元年(1532年)に築いた城というのが、現在、新城古城跡として残っています。

 ハッキリいって、郷土史レベルの城ですが、城郭研究の知識をもって見るといろんなものが見えてくる城跡なのです。

■新城古城の場所の住所■

新城市石田万福31−1

新城古城の場所の地図

 これは北側の地形。北側が谷状になっているのがよくわかります。つまり低くなっており、城がある場所が高くなっているという事です。

 碑がある周辺を散策してみると、何やら土が盛ってある場所がありました。これはかつての土塁の跡でしょう。

 新城古城の南側は豊川が流れていますが、これが非常に重要なポイントです。

 なぜかというと、新城古城は南側を豊川という天然の堀に守られた城だったということだからです。

 実際に現地に行ってみるとわかりますが、この豊川の幅がなかなか広く、敵が迫ってくるなら、川の水に足を取られてしまい、そこを狙い撃ちできそうなことが想定できますよ。

 こうやつて地形を見て当時の防御の在り方を想定するのも、城巡りの楽しみのひとつですね。

私の感想

 私の感想ですが、個人的にちょくちょく行く新城市の地名が、戦国ゆかりというか、城ゆかりの由来だったということで非常に嬉しく思っています。

 なぜかというと、私自身、新城市には非常に愛着がありますし、戦国史跡も多いし、あの武田信玄も来ている土地だからです。

 でもたぶん、新城市に住んでいる市民の方々は、この地名が城ゆかりだと知らない人も多いので、こういった郷土史レベルの戦国史をもっと広めていきたいなとも思いました。

 とりあえずこの記事を読んでいるあなたは、次に新城市に行ったら、新城城と新城古城は要チェックですよ!

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