徳川家康から褒美をもらったニワトリ | 新城市満光寺

 戦国時代は戦や主君を助けて手柄を立てれば、いろんな褒美をもらう事ができました。

 主に土地(所領)ですが、その他にも感状(今でいう感謝状)、茶器、銭、武具など、品物で褒美をもらう事もあったのです。

 そんな中、なんと徳川家康から褒美をもらったニワトリがいました。

 なぜニワトリは家康から褒美をもらえたのか?そしてこのニワトリはどんな手柄を立てたのか?新城市の満光寺に伝わるお話です。

家康、敗走

 元亀年間(1570~73)頃、徳川家康は甲斐・信濃の戦国大名・武田信玄と戦を繰り広げていました。しかし武田信玄の武田軍はとても強く、家康はある戦で負け、居城に逃げ帰る途中、日が暮れて辺りが真っ暗になりました。

 そこで家康一行は、逃げる途中にあった満光寺というお寺に一晩泊めてくれる様頼みました。満光寺の住職は、快く家康一行を受け入れてくれて、食事を出し、ゆっくり戦の疲れを癒す様、できる限りのおもてなしをしました。

 しかし武田軍に追われているかもしれないので、家康たちもノンビリはしていられません。家康は寝る間際に住職に次の様に頼みました。

 『明日の朝、一番鶏が泣いたら、必ず起こしてくれ』

 住職は了承し、一番鶏が泣いたら必ず起こすと言って家康一行を安心させました。

 それからどれくらいの時間が経ったでしょうか。

 『コケコッコー』

 まだ辺りは暗く夜が明けるまでかなり時間がある様に思える頃、満光寺のニワトリが泣き始めたのです。

 この一番鶏の鳴き声を聞いた住職は、いくらなんでも早すぎるのでは?と思いましたが、一番鶏が泣いたら必ず起こすと家康と約束していたので、夜明けではないのだけれど、家康一行を叩き起こします。

 『住職、まだ夜中ではないか?』

 『はい、しかし一番鶏が泣きましたので…』

 正直、不機嫌だった家康でしたが、住職に頼んだ手前、文句も言えず、とりあえず旅支度をして、まだ暗いうちに家臣たちと共に満光寺を出発しました。

 それからすぐの事です。武田軍が満光寺を取り囲み、住職を呼び出します。

 『おい、住職。この寺に徳川家康一行が逃げてこなかったか?隠し立てするとひどい目に遭うぞ?』

 『いや、お侍様。徳川家康など来ていません。疑われるならどうぞ、寺の中をお調べ下さい』

 武田軍は満光寺の中を隅々まで調べましたが、家康一行はすでに旅立っており、しかも住職たちが家康一行が泊まった気配すら消し去っていたのです。

 『住職、すまなかった。この東三河は、もうすぐ武田家の領地になる。そうなれば、この寺も保護するゆえ、今回の件は許してくれ』

 武田軍の大将は住職に謝ると、家康一行を探しに満光寺を出発しました。

 その後、武田家当主・武田信玄は亡くなり、後を継いだ武田勝頼も天正三年(1575)に長篠・設楽ヶ原合戦で織田・徳川連合軍に敗れ、数年後に武田家は滅びました。

 そしてそれから約40年後、徳川家康は豊臣家を滅ぼし天下を治めますが、この時の満光寺のニワトリが早く起こしてくれなければ、武田軍に捕まりひどい目に遭わされていたといって、満光寺のニワトリに三石の扶持を与えました。

 その後の慶安二年(1649)には、三代将軍・徳川家光から満光寺に寺領二十石が与えられたという事です。

満光寺へのアクセス

 家康から褒美をもらった満光寺は、現在でも存続しています。

 まずアクセスですが、電車でのアクセスは非常に難しく、基本、車で行く事をオススメします。その場合、国道257号線沿いにある、道の駅・鳳来三河三石の裏にあるので、この道の駅を目指して行けば辿り着きます。

■鳳来三河三石の場所の住所■

新城市下吉田字田中106-1

鳳来三河三石の場所の地図

道の駅・鳳来三河三石|愛知県 中部の「道の駅」

 ちなみに近くには柿本城という城址があります。この城は2017年大河ドラマでほんの少し有名になった井伊谷三人衆の一人・鈴木重時の居城跡です。

それでは満光寺

 では道の駅・鳳来三河三石から徒歩1分の満光寺に行ってみます。まずは石段をあがり境内に登って行きます。満光寺は残念ながら火事で焼失し、後に再建されており、当時家康一行が泊まった部屋などは残されていません。

 すると…本堂の入口付近に鶏小屋があり、中には鶏がいました。

 家康一行を暗いうちに起こしたニワトリについてですが、最近の研究では、この時のニワトリは小国(しょうこく)という品種のニワトリで、平安時代に遣唐使が中国から持ち帰ったニワトリの子孫ではないかといわれています。

 ちなみに昭和16年1月に天然記念物に指定されています。しかしなぜかインターネットで調べてみると肉が販売されており、小国を取り扱う居酒屋などもあり謎も多いのです(汗)

 満光寺の一番の見どころは小堀遠州が手掛けた庭園で、本堂の中から中庭みたいな場所に抜けたところにあります。

 また入口には、庭園の維持管理のための志し(お金)を入れる箱がありました。金額は決まっておらず、個人的な想いのお金を入れればOKです。

 そしてこれが満光寺の庭園。

 私は庭園の事はよくわかりませんが、庭園は庭園でいろんな意味があり、奥が深いものです。ちなみに2017年NHK大河ドラマ・おんな城主直虎で有名になった、浜松市の龍潭寺にも小堀遠州が手掛けた庭園があります。

 庭園ファンは是非、チェックしてみてください。

三石の米ってどのくらいの価値?

 あと補足ながら、満光寺のニワトリがもらった三石という米はどのくらい価値があったのかという点です。

 一石=二俵半の米の量(150キログラム)といわれ、三石だと450キログラムの米という事になります。江戸時代と現代の米の価値は違うのですが、平成25年度の平均的なコメ相場は10kgあたり精米で4,000円前後です。

 まあ、銘柄にもよると思いますが、単純に計算した場合、三石の米=450キログラムなら、現在では約18万円くらいになります。

 これが後に東照大権現となった徳川家康の命を救ったニワトリの褒美として、高いか低いか微妙な点ではありますが、純粋にニワトリ一匹に与えられた褒美と考えれば、かなり高額なのでしょう。

私の感想

私の感想ですが、満光寺は新城市に来た時にはチェックしておきたい寺のひとつだと思いました。なぜかというと、満光寺は現在でも庭園を一般公開しており、道の駅とセットで訪れることができるからです。

 場所的には長篠城と龍潭寺がある遠州・井伊谷の中間地点みたいなところですが、ここも戦国の舞台となった現場であり、庭園も見事です。長篠城や井伊谷を訪れた際には足を延ばしてみてはいかがでしょうか。

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