徳川家康と織田信広の人質交換の石碑が名古屋市南区笠覆寺(笠寺観音)にある理由

名古屋市南区の笠覆寺(りゅうふくじ)は通称・笠寺観音(かさでらかんのん)と呼ばれる古刹です。尾張四観音(おわりしかんのん)のうちのひとつで、恵方巻の時期にも賑わいます。

■笠寺観音の住所■

名古屋市南区笠寺町上新町83

>>笠寺観音の場所の地図

>>笠寺観音公式サイト

御朱印巡りでも有名な笠寺観音ですが、ここは戦国時代の史跡でもあるのです。それが幼少時代の徳川家康(松平竹千代)と織田信長の兄である、織田信広が人質交換されたという場所です。

なぜここで?

笠寺観音の境内奥に進むと西門近くに、なにやら石像があります。これが幼少期の徳川家康(松平竹千代)と織田信長の兄・織田信広の人質交換之地を示す石像です。なぜ人質交換になったのか?簡単にわかりやすく説明します。

まず定説だと、徳川家康(竹千代)は駿河の今川氏のもとに送られる時、田原城(愛知県田原市)の戸田氏が奪い、当時敵だった尾張の織田氏に売り飛ばされました。織田信広は安祥城(愛知県安城市)を守っていましたが、駿河の今川軍、三河の松平軍に攻められ安祥城は落城。そのまま捕虜になりました。織田には竹千代。今川には織田信広がいるわけです。

そこで両軍とも人質を交換しようということで、尾張の古刹だった笠覆寺(笠寺観音)で人質交換が行われたのです。

私の感想

私の感想ですが、笠寺観音は恵方巻や東海道ウォークでよく訪れます。でもこの人質交換之地の石像は少し奥まったところにあるので、忘れずにチェックしたほうが良いと思いました。

【あなたも一緒に城巡りしませんか?】

愛知県の城跡や戦国史跡を巡る歴史好きのサークル・【愛知ウォーキング城巡り倶楽部】。活動は毎月第一土曜、もしくは日曜日。現地集合、現地解散で行われる見学会です。城好き、戦国好きの方が在籍しています。歴史に詳しい、詳しくないなどは関係なし!好きならそれでOKです。入会費や年会費などもなく、参加する時だけ参加費を払うだけなので、あなたも気軽に遊びに来てみませんか?

>>詳しくはこちら

スポンサーリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

スポンサーリンク