名古屋市南区鳥栖城址はこの地の土豪だった成田久左衛門義次の居城跡

名古屋市南区の鳥栖城址は戦国時代に名古屋の東南部に勢力を持っていた山口氏の重臣・成田義次の居城と伝わる城跡です。現在は成道寺になっています。

■鳥栖城址の住所■

名古屋市南区鳥栖2丁目

>>鳥栖城址の地図

記録に残る成田氏

成田氏の記録として次の様なものがあります。

●笠覆寺古記に長享二年(1488)に成田縫之助時重が畠一反を寄進したとある。

●張州府志によると成田久左衛門義次の頃は今の名古屋南一帯を勢力下に置いていた。

●久左衛門義次は主君である寺部城主・山口盛重の娘を娶り重臣でもあった。

●天文二十一年(1552)の赤塚合戦で山口軍の足軽大将に成田弥六、成田助次郎の名前がある。当時の鳥栖城主もしくは一族の者ではないかと指摘がある。

現地看板

成道寺石仏

 芳樹山と号し、曹洞宗。この寺の墓地にあった地蔵二体(立像と坐像)が境内の小祠に安置されている。左手に宝珠、右手に錫杖を持つ通例の姿であるが、顔の高肉彫りの厚み、つまり側面に耳を刻みだしているのが特徴である。そのうち一体に『鳥住伝心浄本庵主、永正十二乙亥正月十二日』と刻まれ、市内では最も古い。

 銘文中の『鳥住』はこのあたりの地名で、『鳥栖町』の名もこれに起因すると思われる。他の一体の台座には『慶林大姉』と刻まれている。

名古屋市教育委員会

そして城

鳥栖城址は現在、成道寺になっており、堀や土塁といった城跡の遺構は残っていません。唯一城址を想わせるのが入口からの高低差。境内に向かって上がっています。おそらくは本丸に向かって高くなっているということでしょう。

境内には鳥栖城主の供養のために建立されたといわれる地蔵尊があります。城主ゆかりのものといえばこれくらいしかありません。

鳥栖城の所要時間は成道寺をぐるっと回ったくらいなので約10分ほど。私の感想ですが、城跡としては遺構は残っていないものの、この地の土豪として成田氏の歴史は記録されています。この地域の郷土史(特に戦国時代)を調べる時に鳥栖城主の成田氏は重要なキーポイントだと思います。

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