名古屋市天白区島田に残る島田城址は戦国時代の尾張守護だった斯波氏の一族・牧氏の居城跡です。
■島田城址の住所■
名古屋市天白区島田5丁目
現地案内看板
築城年代は不詳であるが、『尾張志』に、その規模は東西四二間(約七六m)、南北百一間(約一八二m)ほどである。張州府志には『地元では城主が牧虎三であるといわれている』と記述されている。牧氏は足利高経の末流で、尾張守護職斯波氏の一族である。
名古屋市教育委員会
ここに書いてある足利高経の末流で、尾張守護職斯波氏の一族の牧氏は、現在の名古屋市中区大須周辺い勢力を持っていた土豪です。その一族が牧虎蔵なのでしょう。ちなみに牧虎蔵に関してはこれ以上のことは分からず、歴史の闇に消えた武将です。
では島田城レビュー
名古屋市教育委員会の説明看板横から土塁(?)の上に移動する事ができます。ここでひとつ注意したいのが、島田城址は私有地(つまり人の土地)ということ。地主の方のご理解で見学させて頂けるワケです。
道路から土塁の上に上がる前に畑みたいな場所があります。これは私の仮説ですが、道路より広いので島田城の曲輪跡なのかなと。ここから先は妄想族です(汗)。
土塁の上の世界
土塁の上に上がると社(やしろ)が祀ってありました。何の神様だろう?
島田城の土塁の上をしばし楽しむ。両方に下がってるのが分かりますか?これは土塁でしょ。ちなみに島田城の目の前を鳴海街道が通っており、飯田街道ではなく鳴海城に抜ける鳴海街道を押さえていた城だと思います。
所要時間と私の感想
天白区島田城の所要時間は看板読んで土塁登るくらいなので10分ほどpです。私の感想ですが、島田城址は土塁しか残っていないものの、城主の歴史など郷土史を楽しむことができる城だと思います。その理由は島田城主の牧虎蔵の本家というか主家は現在の名古屋市中区の小林城主・牧長清だからです。
牧長清は織田信長の妹を正室に娶っており、織田家から一目置かれていた土豪だからです。城跡も良いですが尾張の郷土史が楽しめる城跡だと思いました。