尾張旭市狩宿城は織田家の家老 林氏の居城跡なのか?地形が楽しめる城跡

尾張旭市の狩宿(かりじゅく)城址は、この地の土豪・林氏の居城跡といわれています。現在の狩宿第2ちびっこ広場周辺が城跡です。以下は現地看板です。

狩宿城は、寛政五年(1793)や天保十二年(1841)作成の狩宿村絵図に「古城跡」として描かれている、瀬戸川と矢田川にはさまれた台地の先端に築かれた平城です。

昭和63(1988)年、城跡に県道が通ることになり発掘調査を行いましたが、城の入り口である虎口、防御のための土塁、敵の侵入を防ぐ堀など城が備える施設は確認できませんでした。

しかし、城のほぼ中央に幅1.8mから6m、深さ約1.8mの堀状の遺構があり、大量の土器が埋もれていました。土器は弥生時代から江戸時代まで各時代にわたるもので、古くから人々が暮らしてきたことがわかります。

また城跡の南寄りに高さ2.5mの山がありましたが、近世になって堀状の遺構を掘った土を盛り上げたものであることが分かりました。

狩宿城の城主は林弥助で、その子信勝は織田信長の家老になったと伝えられ、16世紀頃に営まれていたとかんんがえられています。

>>狩宿城址の地図

古地図に残る古城

現地看板にあった江戸時代の古地図。これを見ると北を流れる瀬戸川と南を流れる赤津川の合流する手前に城があったことが分かります(記載は古城跡、南屋敷、西屋敷畑)。瀬戸川と赤津川が天然の堀にも見えますね。

残る地形

狩宿城は2つの川に挟まれた丘陵地帯です。城の遺構は残っていないものの、この地形や高低差はハッキリと分かります。

↑これは県道208号線(旭南線)から狩宿城址がある北側を見た画像。ハッキリと上がっていることが分かりますね。南側は瀬戸川なので、ことらから見ると高い台の城ということがよく分かります。

所要時間と私の感想

狩宿城の所要時間は周りの地形をジックリと調べたので15分ほどでした。私の感想ですが遺構は残っていませんが、川に挟まれた地形を楽しめる城です。また織田家の家老・林秀貞の林家の城ともいわれています。

織田信長の時代、林家の城は沖村城(北名古屋市)といわれていますが、発祥の地がこの尾張旭市周辺だと、北名古屋市辺りとどういう繋がりがあったのか興味深いです。

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