刈谷市重原本町の重原陣屋跡は江戸時代後期の寛政二年(1790)に起きた寛政の一揆後、福島藩がこの地を治めるために築いた陣屋跡です。
それまで刈谷城周辺にあったこの地域は土井氏が治めていましたが、寛政の一揆が起こってしまい土井氏は領地替えになり、かわりに入封した板倉氏が領地を管理するための拠点にしたのが板倉陣屋です。
見るべきは地形
重原陣屋跡は浄福寺に隣接していた場所にあり、現在では陣屋時代の遺構は残っていません。でも見ておきたいポイントはその立地と周辺の地形です。舌状台地みたいな長細い台地の上にあり、東~南を流れる猿渡川方面を見渡すことができます。
これは陣屋跡から南を見た画像。下がっておりクリーンセンターがある場所が猿渡川です。
反対に南側から重原陣屋跡を見てみると崖の上にあったことが分かります。高い場所に陣屋を築く理由はいくつかありますが、そのうちのひとつが高台は大雨が降っても水没しないという理由が考えられます。徳川家康が尾張国の首都を清洲から名古屋に移した理由のひとつも水害対策というのがあげられています。
移築された遺構
重原陣屋跡から少し離れた場所に陣屋の遺構が移されています。これは重原陣屋の玄関を移築した十王寺です。
現在は廃寺となり半城土地区が維持管理にあたっている。境内に秋葉堂、行者堂、地蔵堂があり、重原陣屋の玄関が移築されている。
平成12年3月 刈谷市教育委員会
十応寺向かいの願行寺には重原陣屋の門が移築されています。
刈谷藩は寛政4年(1792)に一部村替となり重原村をはじめ小垣江村、半城土村等が福島藩領及び幕府領になった。福島藩は自領となった村を支配するために陣屋を儲けた。
平成12年3月 刈谷市教育委員会
私の感想
重原陣屋跡は何も残っていませんが、城跡を想わせる高台の地形と少し歩けばチェックできる玄関を門を見ることができてよかったです。また寛政二年(1790)の刈谷藩寛政の一揆も、まれに見る大規模な強訴だったので、深堀りするといろんなことが分かり興味深かったです。