九鬼守隆夫妻の墓が戸田氏菩提寺の田原市長興寺にある理由

田原市の長興寺は、戦国時代に渥美半島に勢力を持っていた戸田氏の菩提寺です。

>>長興寺の歴史 | ウィキペディア

田原城から車で15分ほどの所要時間で着くので、田原城とセットにしやすい長興寺。

田原城の周辺史跡のひとつとしてチェックしてみましょう。

■長興寺の住所■

田原市大久保町岩下8

>>長興寺の場所の地図

長興寺駐車場の隣にある墓所。ここに戸田氏や一色氏の墓があります。

寺伝によると、建治元年(1275)に大覚寺として創建されましたが、その後荒廃し、文明十四年(1482)田原城主・戸田宗光が三河渥美郡の分郡守護代・一色政照(七郎)の菩提を弔うため、再興しました。

この時に長興寺と寺号を改め、また曹洞宗に改宗し、戸田氏の菩提寺としたのです。一色氏の墓があるのもその理由なのですね。

でも、もうふたつ気になる墓があります。

それがこちら!九鬼守隆の墓と内室(妻)の墓

九鬼守隆とは、戦国時代に織田信長の家臣として活躍した九鬼嘉隆の息子です。

守隆の父である九鬼嘉隆は、伊勢国志摩(三重県鳥羽市)に水軍を持っていた豪族で、鉄甲船を建造したといわれる武将。その後大名になったので、海賊大名という異名をもつ人物でもありました。

関ヶ原合戦の時、父・嘉隆は西軍に付き、その後自害してしまいますが、九鬼家は守隆が継いで存続します。

ではなぜ田原の戸田氏菩提寺に九鬼守隆夫妻の墓があるのか?という理由ですが、実は田原藩第二代目藩主・戸田忠能(ただよし)が、九鬼守隆の娘(後の久昌院)を正室とした関係から、戸田氏の菩提寺である長興寺に守隆夫妻の墓が建てられたといわれています。

ちなみに父である九鬼嘉隆の墓は、海の向かい側、三重県鳥羽市の答志島(とうしじま)に首塚と胴塚があります。

私の長興寺の感想ですが、戸田氏の菩提に九鬼氏の墓があった事は、行くまで知りませんでした。

でもこうやって現場に行ってみることで発見できる史跡もあるので、やはり歴史は現地現物が大事ですね。

田原城に車で行った時、長興寺もセットにすると史跡巡りの満足度も上がると思います。

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