江南市布袋駅前に建つ織田信長と側室吉乃とこどもたちの銅像

江南市布袋駅の東側(マックスバリュ江南布袋店)向かいに織田信長と側室の吉乃(きつの)、そして子どもたちの銅像が建っています。

>>銅像の場所の地図

説明板にはなんて書いてある?

信長と生駒の息女吉乃とこどもたち

戦国時代信長は清洲城から馬で生駒屋敷に通い生駒家宗の息女吉乃を娶り年子で嫡男信忠(幼名奇妙)次男信雄(茶筅)長女徳姫(五徳)が生まれました。

徳姫が生まれた翌年に桶狭間の戦いで信長が勝利し天下布武への道を歩みます。

若くして吉乃が亡くなると信長は小牧山の城楼から涙を流したと伝えられています。吉乃を荼毘に付した田代町西ノ丸の田代墓地に小牧山城を見つめる吉乃の石像が建てられています。

その後、こどもたちも数奇な運命を辿ります。 銅像は郷土の歴史を愛する市民により鉄道高架の完成を祝し建立されました。

令和六年六月吉日 青岑書

なぜこ江南市にこの銅像が建ってる?

江南市にはかつて吉乃の実家・生駒屋敷(小折城)があり、信長は清洲から通っていました。信長と吉乃の間には3人の子どもが生まれます。

●信忠(信長の長男。本能寺の変で亡くなる)

●信雄(信長の次男。小牧長久手の戦いでそれなりに活躍)

●五徳(徳川家康の長男・信康の正室)

つまりわかりやすくいうと織田信忠、織田信雄、そして五徳は現在の江南市出身ということになります。ご当地の有名人です。その信長ファミリーを表した銅像がこれです。

吉乃の荼毘地

吉乃は永禄九年(1566)に死去。生年に諸説があり享年は39または29とも。亡くなった後、現在の田代墓地で荼毘に付されました(火葬)。

>>田代墓地のレビュー記事

私の感想

信長の側室・吉乃は歴史的に有名な3人の子どもたちを産んだ女性ですが、若くして亡くなったせいか記録があまり残っていません。だから今まであまり顕彰されなかった女性ではありますが、この銅像が城址や戦国史跡が多い江南市の新しいスポットになればと思います。

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