天正、文禄年間の徳川領国の動向を知ることができる現代語訳・家忠日記

■発行者 ゆいぽおと

■著者 中川三平

■価格 4,800+税

■ひとことでいうと 家康家臣の松平家忠の日記

戦国時代の様子を知ることができる資料はいくつかあります。例えば当時の書状(手紙)や合戦記など。そして今回紹介する個人の日記などです。

松平家忠とは

松平家忠とは、徳川家康の親戚だった深溝(ふこうず:現幸田町)松平の四代目当主。弘治元年(1555)に生まれ、慶長五年(1600)関ヶ原合戦の前哨戦である伏見城の戦いで討死します。

この松平家忠が残した日記が家忠日記で、天正三年(1575)年~文禄三年(1594)年までの17年間、日ごろの出来事を綴っています。

だから日記なの

信長公記みたいに公式記録として残すために書かれたワケではないので、かなりテキトーに書かれている部分がほとんど。つまりあくまで個人の日記なのです。例えば次の通り。

【天正五年閏五月】

十二日 晩に雨降り。

十三日 夜、雨降り

十四日

十五日 会下へ参った

など(笑)。書かれていない日もあります。

ただ重要な出来事の時は文章も長く、『徳川方』からの目線で記録を残しているので、貴重な資料ですね。

家康⇒家康様

日記をよく読んでいると、徳川と松平の力関係も分かります。例えば天正六年(1578)頃は、徳川家康を『家康』と記載しているのに対し、天正十五年(1587)頃には『家康様』になっています。

これはなぜかというと、おそらく徳川氏と深溝松平氏の力関係によるものではないかというのが私の感想です。

例えば天正六年(1578)頃は、一応、本家だから従っておくかくらいの認識が、本能寺の変、小牧長久手合戦後の天正十五年(1587)頃には、親戚だけど主君!みたいな意識に変わっているので、家康への記録も変わっているのでしょう。

あと地震があった事や城の普請の記録、また個人の喧嘩なども記載されていて興味深いです。

私の感想

家忠日記は、歴史本などでもよく参考資料として出てくるので、その現代語訳ということで貴重な一冊だと思います。また三河の地名もたくさん出てくるので、三河に住んでいる人、もしくは土地勘がある人は、場所をイメージしやすいと思うのでなおオススメです。

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