福島正則は地元では英雄!愛知県あま市の生誕地と菩提寺の瑞祥山菊泉禅院

 加藤清正と共に武勇に優れ、豊臣秀吉の家臣として各地を転戦した福島正則。しかしなぜか人気がありません。

 幼なじみで親友の清正は、江戸時代から人気があり、また清正を祀る神社もあって【神】として崇められているのに対し、正則の人気はあまりパッとしませんよね。

 大河ドラマなどでも乱暴者や酒癖が悪い武将として描かれている事も多く、武将ファンもあまりいない印象です。

 でもそんな世間の評価とは関係なく、彼の生誕地である愛知県あま市では、【超】が付くほど英雄扱いなんです!

あま市の場所はココ!

 愛知県あま市は、平成22年(2010)に海部郡七宝町、美和町、甚目寺町の3町が合併して誕生した市で、正則の生誕地は旧美和町にあります。

あま市公式サイト

 ちなみに正則生誕地がある旧美和町には、蜂須賀正勝(小六)や豊臣秀次の生誕地もあり、同じあま市になった旧七宝町は、前田利家の正室・まつの生誕地でもあります。

 こうしてみると、かなりの戦国スポットの宝庫でもありますね。

これが正則の英雄っぷりだ!

 それでは正則の英雄ぶりをチェックしてみます!まずは正則保育園。ひらがなではなく、感じで大きく表現してあります。

 そして小学校に進学すると、今度は正則小学校に通う事になります。校章にも大きく正則の文字がありますね(汗)。

 ちなみにこの正則は地名から取ったものではなく、地元の戦国武将・福島正則から取った地名ということが、小学校の公式サイトにも書かれています。

>>正則小学校の概要(PDFファイル)

 参考までに地名は【あま市二ツ寺三本松】なので、正則の名前と地名は関係ない事がわかりますね。

 そして地域のコミュニティセンターもまた正則。

 さらに橋の名前まで正則!と、ここまで徹底した名前の付け方からわかる様に、地元では非常に親しまれています。福島正則も死後400年後に正則橋なんて、橋の名前になるとは思っていなかったでしょう。

生誕地はここ!

 次に福島正則の生誕地について。

 生誕地も同じ地区にあり、現在では石碑も建っています。屋敷は現在石碑が建っている場所の西側にあったそうです。

 正則の父は桶屋だったといわれていますので、ココに桶屋で正則の生家があったのですね。

 ちなみに石碑の西側は現在では田んぼと住宅地になっていますが、地名を調べてみると字名が【屋敷】になっています。

 正則が生まれた屋敷があった事から、この字名になったのでしょうか。

【福島正則生誕地の住所】愛知県あま市二ツ寺屋敷

福島正則生誕地の地図

菩提寺の菊泉禅院

 菩提寺も同じ地区にあります。それが瑞祥山菊泉禅院です。

 石碑の側面を見てみると、福島正則公菩提寺の文字が見えますね。

 この菊泉禅院の創建は鎌倉時代と古く、文禄元年(1592)に禅宗(曹洞宗)として開山されました。

 福島正則は文禄四年(1495)に尾張国清洲城主になりますが、その時に五十石の所領を寄進し、それがキッカケで正則の菩提寺となりました。

 菊泉禅院の墓地に行くと、福島正則公顕彰会が建てた正則の供養塔と顕彰碑があります。

 遺骨は無い供養塔ですが、ここも参拝しておきたいですね。

【菊泉禅院の住所】あま市二ツ寺屋敷69

菊泉禅院の地図

感想

 さて、正則ワールドいかがでしたか?私の感想ですが、これも郷土史レベルの面白さのひとつではないかと思います。

 その理由は、前述した様に福島正則の認知度や人気は、加藤清正と比べるとイマイチで、戦国ブームの中でも良い意味で目立っているとは言い難いのかもしれません。

 ですが地元でこれだけ顕彰され、なおかつ親しまれている事は、やはり地元を訪れないと知らなかった訳ですし、そう考えてみると、ここに地元という【現場】の大切さがあると思います。

 確かに乱暴なエピソードには事欠かない正則です。

 しかし名古屋城築城の時に堀川を掘った事や、宇喜多秀家が流罪で流された八丈島に遭難した福島家家臣が、コッソリと酒樽を秀家に渡しますが、その家臣を罰するどころか褒め称えたなど、知られていない功績や人情話もあるんです。

 現場を巡り、歴史を知り、武将を学ぶといった行動で、また戦国が好きになりました。

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