奥平信昌(貞昌)の幼妻・おふうの最後を語る長篠合戦の話・戦国人質物語

【編集】長篠城趾史跡保存館

【発行所】長篠城趾史跡保存館

【定価】720円

【一言でいうと】

奥平信昌(貞昌)の幼妻・おふうの処刑から墓の場所を探すまでのドキュメンタリー

華々しいだけが戦国ではありません。武将たちの華やかな活躍の裏で、悲惨な死を遂げた人たちもたくさんいたのです。また女性は戦国時代、まさに【モノ】に等しい扱いを受けたケースも多く、奥平信昌(後の貞昌)の幼妻・おふうもそのひとりでした。

この本はそんな戦国乱世の中でも悲惨な最期を迎えた・おふうという女性をピックアップした郷土史本なのです。

おふうとは?

この本の主人公・おふうという女性は、長篠合戦の時、約1万5千の武田軍からわずか500の兵で長篠城を守り切った奥平貞昌の最初の妻です。歴史の中では奥平信昌の妻は於フウ、お安、おあわという名前で登場しますが同一人物で、この本ではおふうという名前で統一されています。

ところでこのおふうさんの出自についてはよく分かっていません。奥平氏の重臣の娘とも、親族の娘という説もあります。とにかく分かっているのは享年が16という事。なので奥平貞昌に嫁いだのはそれ以前(13歳とも)という事になりますね。享年16を考えると現在なら高校1~2年、つまり女子高生という年齢です。

戦国版・ゲスの極み

さて、このおふうさん。戦国乱世の女性の中でもとりわけ悲惨な最期を遂げた女性ということで、以前、なんだったか忘れましたが、悲惨な女性ランキングで上位に輝いた(?)こともありました。なぜ悲惨な女性なのか?簡単に説明します。

おふうさんが嫁いだ奥平氏は、戦国時代に東三河(作手)の小豪族でした。だから周辺の大きな勢力を頼らないと存続すらできなかったのです。今川、武田、徳川(松平)と主を変え、とりあえず三河に進出してき武田氏に仕えることになりましたが、以前武田を離反した過去があり、武田から難問を突き付けられます。

『人質を出せよ?』

奥平氏は仕方なく、次の3人を武田氏に人質として送ります。

  • 貞昌の妻 おふう(13歳)
  • 当主・貞能の二男 仙丸(10歳)
  • 親族といわれる虎ノ助(13歳)

資料によってこの3人の出自は違う場合もあるのですが、武田氏に人質として送られた人物なので、奥平氏にとっては重要な人物、または重要な親族だったのでしょう。どうでもよい人物なら、人質になりませんからね。

さて、人質といっても奥平氏が武田氏に付いている以上、身の安全は保証されています。奥平氏的には武田氏に忠誠を誓い、そのうちに可愛い幼妻・おふうも返してもらえる日も来ると、武田氏のために働きます。そう、あの出来事が起こるまでは…

人質?ああ、いたね

そんな中、元亀四年(1573)に武田氏の当主・武田信玄が亡くなります。信玄は3年間自分が死んだことを隠せと遺言したのですが、これだけの大人物の死は瞬く間に周辺に広がりました。戦国最強ともいわれた武田信玄の死…

これを機に徳川家康が武田氏の勢力圏だった東三河に進出し、奥平氏に味方に付くように迫ります。この時、家康は織田信長に相談し、奥平氏に次の条件を提示したといわれています。

(1)家康の長女・亀姫と貞昌の婚約
(2)領地を加増する
(3)貞能の娘を本多重純(本多広孝の次男)に入嫁させる

この3つの条件は分かりやすく言うと、領地を増やして徳川氏の親戚になるという、奥平的には悪くない条件。しかも武田氏では、あの恐ろしかった信玄が亡くなっている…でも武田氏には、親族の3人を人質として送っています。徳川氏に『どうするの?』と迫られた奥平氏の返答は…

『はい、これから徳川様に味方します!』

この瞬間に奥平氏は徳川氏の親戚となる約束を受けましたが、人質3人の死が決定した瞬間でもありました。何も悪いことをしていない人質たちは、サクッと処刑されることになったのです。

コオリ坂はどこ?

その後、仙丸、おふう、虎ノ助は別々の場所で処刑されました。この時、おふうが処刑されたのはコオリ坂という場所で、コオリ坂を探すドキュメンタリーがこの本の記載されていいるんです。この探し方がインターネットが無かった時代、つまり昭和の頃の聞き込み調査で、旧道を知る人達の現地調査もあって、まさにドキュメンタリーなのです。

私の感想

私の感想ですが、この本は全国区になっていない愛知県の郷土史レベルの戦国史の一部がギュッと凝縮された一冊だと思います。なぜかというと、インターネットには出ていない、奥平貞昌(後の信昌)の幼妻・おふうの最後がシッカリと記載され、墓が建立されるまでを追っているからです。

ちなみに幼妻を見捨て、長篠城を守り抜いた奥平貞昌はその後、家康の長女・亀姫を正室にもらい、江戸時代には徳川将軍家の親戚筋として明治まで大名として存続します。この事から、愛知の郷土史を知る女性からは、戦国版・ゲスの極みとも評されているワケですがw

また長篠城がある愛知県新城市では、奥平さんより鳥居強右衛門のほうが人気が高く、奥平さんは非常に影が薄い印象があります。ところで肝心の本ですが、これはアマゾンや楽天ブックスのインターネット通販では販売されておらず、長篠城趾史跡保存館(長篠城)や、設楽原歴史資料館で販売されています。

あと価格ですが、本に記載されておらず、いくらだったっけ?数年前に買った本なので忘れました。ともあれ、長篠城趾史跡保存館(長篠城)や、設楽原歴史資料館に行った時には、この戦国人質物語が販売されていると思うので、東三河の郷土史に興味がある人は要チェックですよ。

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