織田信長が元服した古渡城跡に天守があった?そして名古屋城の刻印石がある理由とは

名古屋市中区にある古渡(ふるわたり)城址は、織田信秀が築いた城で、信長が元服(げんぷく:成人)した城でもあります。また信長の妹・お市の方の生誕地説もある城です。

■古渡城址の住所■

名古屋市中区橘2丁目8

>>古渡城跡の地図

>>古渡城の詳細 | ウィキペディア

織田信長ファンはもちろん、愛知県の城巡りをしている人にもオススメの古渡城。城の遺構は残っていませんが、見ておきたいポイントをまとめてみました。

現状は寺です!

古渡城跡は真宗大谷派名古屋別院になっています。この寺の中に古渡城址の石碑があるんです。ちなみにアクセスは非常に簡単で、名古屋市営地下鉄・東別院駅4番出口から徒歩5分と、好アクセス!

石碑は横も見る

古渡城跡の石碑の横を見ると、織田信秀築城 信長元服處(じょ:ところという意味)という記載があります。大正時代に建てられた石碑です。

名古屋別院は正面から入ると分からないのですが、裏(北側)に回ると周辺より高い場所にあることがわかります。この高低差も古渡城からのものでしょうか?

堀の遺構は隣の公園に

ついでに隣の下茶屋公園もチェックしてみましょう。ここには池があるのですが、その池はかつての古渡城の堀跡を利用して作られたものといわれています。

これですね。ちなみに名古屋別院の庭園の池として整備されたのですが、その池は古渡城の堀跡を利用して作られているとの事。でも現状は庭園の池で、堀の様子はどのようなものだったのかワカリマセン…

なぜ名古屋城の残石があるの?

古渡城跡である名古屋別院をブラブラ歩いていると、何やらマークが刻んである石を発見!実はこれ、名古屋城の石垣になるはずだった残石なんです。

なぜここに名古屋城の石垣の石があるのか?実は深いワケがあるのです。

名古屋城は慶長十五年(1610)に築城が開始されますが、その時に古渡城跡が石垣の石置き場になっていました。その後名古屋城は完成したのですが、多めに用意したのか石垣用の石はいくつかこの石置き場に残されたのでしょう。

そして元禄三年(1690)に尾張藩二代藩主・徳川光友より、織田信秀の居城だった古渡城の跡地約1万坪が寄進されて、真宗大谷派名古屋別院が建立されたのです。その時にあった石を整備のために使ったのでしょう。ちなみに名古屋別院と隣接する下茶屋公園合わせて29の刻印石が残っているそうです。

以前、愛知ウォーキング城巡りクラブで名古屋市中区の城巡り企画があったのですが、東別院に名古屋城の刻印石の残石があったこと自体、驚きという声が多かったです。また東別院の刻印と同じ刻印を名古屋城で見ることができるので、名古屋城に行く楽しみも増えますね。

古渡城に天守があった?!

山門の近くに名古屋市が設置した尾張名所図会東本願寺掛所(おわりめいしょずえ ひがしほんがんじかけしょ)の看板があります。※名古屋市博物館蔵

これの右側をよく見て見ると古渡城の天守について記載があるのです。

これですね。『古渡古城天守臺(だい)址』と書かれています。場所的には本堂の東側、現在の下茶屋公園あたりです。

下茶屋公園に行ってみるとこんもりした土盛りがありますが…どうなのでしょうね?下茶屋公園は整備されているので、講演整備の時の土盛りでしょうか?もしくはもともとあった地形(天守台?)を活かした整備なのでしょうか?

信長の千本松原

尾張名所図会東本願寺掛所(おわりめいしょずえ ひがしほんがんじかけしょ)は古渡城の天守台以外にもうひとつ興味深いものが描かれています。それが信長公手植えの松。この松はもう存在しませんが、永禄三年(1560)の桶狭間の戦いにつながる松なのです。

古渡城のすぐ近くに日置神社がありますが、ここは永禄三年(1560)の桶狭間合戦時に織田信長が戦勝祈願した場所といわれています。そして合戦に勝ったので、その御礼に神社周辺に松を千本植えたという伝承が残っています。

千本の松なのでかなり広範囲に及んだのでしょう。尾張名所図会東本願寺掛所(おわりめいしょずえ ひがしほんがんじかけしょ)に描かれている松もこの桶狭間合戦の戦勝祈願のお礼に植えた松ではと思います。

この千本松が地名にもなっています。名古屋市中区に松原という地名がありますが、この地名は信長が日置神社に奉納した千本松原にちなんだものということです。

私の感想とお市の方生誕地について

私の感想ですが、ここは戦国時代の城跡と江戸時代の名古屋城を偲ぶことができ、ダブルで楽しめる史跡だと思いました。名古屋市営地下鉄・東別院から徒歩5分なので、ドニチエコきっぷを使っても訪れやすい史跡だと思います。

あとお市の方の生誕地といわれている由縁ですが、古渡城に織田信秀が在城していたのが天文三年(1534)~天文十七年(1548)の14年間。

そしてお市の方が生まれたとされているのが天文十六年(1547)なので、父が古渡城城主の時に生まれているからという理由です。でもこれはあくまで俗説であって、お市の方の前半生はよく分かっていません。でも数字的には合っていますので、今後の研究が期待大ですね。

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