名古屋城西北隅櫓は清洲城天守?東南隅櫓、西南隅櫓の内部公開に行った感想

名古屋城には重要文化財に指定されている櫓が3つあります。それが西南隅櫓東南隅櫓、そして清洲櫓ともいわれている西北隅櫓です。

この3つの重要文化財の櫓は普段は公開していないのですが、たまにイベントで内部公開が期間限定で行われます。

でもあくまで期間が決まっているので、遠方の人はなかなか見ることができません。そこで今回、3つの櫓の中はどうなっているのか?内部をレビューしてみたいと思います。

3つの櫓の場所

まずは3つの櫓はどこにあるのか?場所を把握しておきましょう。覚える方法ですが、天守閣ではなく、本丸の中心から見た方角がそのまま櫓の名前になっていると思えばOKです!(この地図では上が北)

  • 西南隅櫓(白)
  • 東南隅櫓(青)
  • 西北隅櫓(赤)

なぜ菊紋がある?西南隅櫓

名古屋城を正門から入ってまっすぐ進むと、まず目に入る西南隅櫓。北には大天守がありますし、そのまま東へ向かえば東南隅櫓があります。

西南隅櫓の特徴はいろいろとありますが、そのひとつに鬼瓦があります。櫓に入る前に鬼瓦をよく見てみると…

菊紋?!天皇家の紋です。

名古屋城は尾張徳川家の城なので、三つ葉葵の紋が入っているはずなのですが、なぜ菊の御紋が入っているのか?その理由は江戸時代が終わった後にありました。

これが重要文化財西南隅櫓の説明版。これを見ると大正十二年(1923)、当時名古屋城を管理していた宮内省により西南隅櫓は再建されたので、そのために鬼瓦に菊紋が入れられたことが分かりますね。

では重要文化財である西南隅櫓に入ってみます。あれ?何もない?

そうなんです。重要文化財の3つの櫓はほとんど内部に展示資料が無く、構造を楽しむというか、作りに注目する趣旨になっています。そういえば国宝犬山城も内部に展示資料が少ないですね。

2階に登る階段。これも急です。

そして3階。最上階です。先程、内部に展示資料がほとんど無いと書きましたが、西南隅櫓の最上階には意外なものがあります。それが御窓台(おまどだい)です。

↑これです。御窓台とは、城主が窓から外を見る時に使った台の事。もともと名古屋城天守の中にあったものが西南隅櫓に移されました。

これは柱の金具。ピカピカしてますね。まだ新しいものです。

最上階の3階から外を見てみると、貴重な景色が広がっています。右手に正門があり、その向こうには名古屋駅でしょうか。ビル群が見えますね。

排水管がある東南隅櫓

東南隅櫓は西南隅櫓の東にある櫓です。ここも貴重な遺構を見ることができます。

まずは説明版。これを見ると明治時代に江戸城の鯱が取り付けられた事が分かりますね。また木材は木曽(現在の長野県)から用いられていました。

そして東南隅櫓の1階。東南隅櫓も内部に展示資料はほとんど無く、需要文化財の構造を実感するという趣旨です。

これは石落としという防御施設。敵が櫓に迫ってきた時、この穴から石を落としたり火縄銃で迎撃したりするための穴です。

東南隅櫓で特徴的なのは、窓枠に取り付けられた銅製の排水管(パイプ)。

なぜこれがあるのかというと、窓の敷居に水が溜まるので、櫓内に水が漏れない様、外部に配水するための配管です。東南隅櫓の窓には全てこの排水管が付けられています。

東南隅櫓から本丸方面を見ると…名古屋城の小天守(手前)と大天守(奥)が見えました。このアングルは東南隅櫓ならではなので、櫓公開の時にしか撮れない写真です。

清洲城天守?西北隅櫓

そして名古屋城の重要文化財3櫓の中でも興味津々の西北隅櫓。その理由は、西北隅櫓は清洲櫓といわれており、清洲城の天守閣を移築したもの、あるいは清洲城の天守閣の廃材をリサイクルして建てられた櫓という伝承があるからです。

ちなみに名古屋城の外から見るとこんなふうに見えます。これが清洲城天守…少し地味ですかね?

それでは早速中に入っみます!中に入ると櫓の簡単な説明の紙がありました。ご自由にもらいましたよ。

こちらは壁のしくみを分かりやすく説明している現物のパネル。一見、何もない様な壁も実は丁寧に塗りこまれているのがよく分かりますね。

これは胴木(どうぎ)といって、地盤強化のために石垣の根石の下に埋めておいた木。木の種類は松。

慶長十五年(1610)の石垣普請の際に埋められたもので、名古屋城旧二ノ丸東二之門北側と、二之丸東面(現名古屋城東門の東)の石垣の下から出土しました。

平成6年9月の台風により石垣が崩れたため、修理していた過程で出土しました。中には腐食が激しいものもあり、この腐食が石垣倒壊の一因と考えられるそうですが…

築城から400年以上も経っているのだから、腐食してもおかしくないのでは?と思ってしまいます。

でも、この木は築城当時のものなので、これも貴重な木ですね。

西北隅櫓の第一印象は、何といっても天井が高かった事です。あと天井がむき出しになっていて、梁(はり)とかいろんな柱とかの組み合わせもよく見えました。

私は建築の方法に詳しくないのでよくわかりませんが、知識がある人が見れば、より楽しむ事ができるのではと思います。

階段も斜め45度くらいに急になっています。

そういえば、愛知県犬山市にある犬山城の階段もかなり急で、昔の建物はこの急な角度が共通していますね。

櫓の中は展示物少な目です。

でも建物の構造を見せるというか、この空間に当時どんなものが置いてあったのかという、想像を膨らませるのが楽しいです。

展示物なら天守内にたくさんあるので、あえてここまで展示物を置くこともないと思いました。

最上階からは北と西を見渡すことができました。

堀の向こうなどの建物も。、いつもとは違うアングルから見ると面白いですね。これも期間限定の景色です。

感想

私の名古屋城西南隅櫓、東南隅櫓、西北隅櫓の感想ですが、まずはいつもは非公開の櫓内に入る事ができて良かったです。

写真には写っていませんでしたが、櫓内にはガイドの方も常駐していて、櫓について詳しい解説を行ってくれます。

あと西北隅櫓(清洲櫓)の件ですが、最後まで結論が出なかったのが、この西北隅櫓が移築された清洲城天守なのかどうかという事。やはり地味だし…

いや、戦国時代の天守は実践的なものだと思うので、必要以上の装飾はなかったのかな~なんて思ったりもします。

そこで、現在の清洲城天守と、清洲城天守の移築といわれる西北隅櫓を比較してみました!

上が現在の清洲城天守。下が西北隅櫓(清洲櫓)。

破風(はふ)の配置とか数とか、同じ建物とは思えないんですケド(笑)。

まあ、現在の清洲城天守は建っている場所が違う模擬天守で、外観も違うのですが、清洲城に天守があったことは確実なので、廃城になった時、もしかすると廃材を再利用した可能性が強いのかな?結論が出たらまたブログでお知らせしますね。

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コメント

  1. […] 説明板がないので何かわかりませんが、丸いものが。 寄付されたという出雲地方の古墳時代の巨大な石棺式石室が。名古屋城の歴史とは関係ないものですが。 茶席が4棟あります。基本的に非公開ですが、見学できる特別公開日もあるようです。 見学した方のブログ1。見学した方のブログ2  貴重なものがたくさんあるので、見てみたいです。猿面望嶽茶席。 日本旧陸軍が建てた、乃木倉庫は弾薬庫で、国の登録有形文化財です。 レンガ造で、後年、保護のために白漆喰を塗りました。 ここに、本丸御殿の障壁画や襖などの多くを空襲の2か月前に移設して保管していたので、燃えることなく、今に残っているのでありがたい存在です。 重要文化財の西北隅櫓は、清州城の木材の一部を使っており、清州櫓とも呼ばれ、国内最大規模の隅櫓です。 規模としては宇和島城天守(高さ約15.7m、桁行6間、梁間6間)を上回り、3重5階の高知城天守(高さ約18.6m、桁行8間、梁間6間)には高さでは及ばないものの平面規模では凌駕する大きさとなっています。 基本的に非公開ですが、特別公開の日があるようです。 内部を見学した方のブログ1。内部を見学した方のブログ2 内部映像 […]