名古屋城には2体の加藤清正の銅像があります。加藤清正と言えば熊本城主として有名ですが、なぜ名古屋城に彼の銅像があるのか?この記事では名古屋城にある加藤清正の銅像の理由と場所、そして私の感想を書いてみました。
清正が築いた石垣
慶長五年(1600)の関ケ原合戦に勝利した徳川家康は、息子・松平忠吉を清洲城主としますが、忠吉は関ヶ原の戦いで受けた傷がもとで亡くなります。そこで家康は清洲城の代わりに名古屋城を築き、十男・義直を城主にしました。この名古屋城築城には、西国大名20家が携わっており、加藤清正も名古屋城築城に加わっていたのです。
ちなみに加藤清正が担当していたのは本丸の大天守部分。清正が築いた石垣は扇の勾配(おうぎのこうばい)といって、上に上がるほど角度が急になるという積み方です。
また名古屋城築城で伝説も生まれました。それがこの清正石。名古屋城の石垣の石の中でもひときわ大きな石で、加藤清正が運んだと言い伝えられることから清正石の名前が付きました。ただこの清正石がある区画は黒田長政が担当しており、清正が運んだというハナシは伝説だと考えられてます。
2つの銅像の場所
では2つの加藤清正の銅像の場所を説明します。まずは名古屋城に入らなくても見ることができる能楽堂前の銅像。名古屋城に向かう国道22号線沿いにあり、駐車場の直ぐ側に建っているので、車を止めて名古屋城に向かうと見落としそうな銅像です。
もうひとつは名古屋城東南隅櫓(重要文化財)近くにある、清正公石曳きの像。巨石の上に加藤清正が乗り、石を曳いている(引いている)人たちを鼓舞する様なカタチです。
私の感想
私の感想ですが、加藤清正の銅像は愛知県に3体あるのですが、そのうちの2つが名古屋城にあるので、加藤清正が好きな方はチェックしておくことをオススメします。ちなみに加藤清正はNHK大河ドラマの主役にと署名活動も行われているくらい人気の武将なので、今後どうなるか楽しみですね。