徳川家康の祖父・松平清康が亡くなった名古屋市守山区の守山城跡

名古屋市守山区にあった守山城は、徳川家康の祖父・松平清康が亡くなった守山崩れで有名な城です。

■守山城の場所の住所■

名古屋市守山区市場7−1

守山城の地図

1分で分かる守山城の歴史

守山城は桜井松平家の初代・松平信定が大永元年(1521)頃に築いた城です。

天文四年(1535)頃には織田信秀の弟・織田信光(松平信定の娘婿)の居城となっており、信光が松平清康に内応し、清康が守山城に着陣します。

しかしその時、世に言う「守山崩れ」が起きてしまい、清康は亡くなってしまうんですね。

清康を亡くした後の松平家は、単独で織田に対抗することができず、駿河の今川義元を頼る事になるのですが、三河をほぼ統一した松平氏が崩れていくキッカケになったのがこの守山城なのです。

>>もっと詳しい守山城の歴史 | ウィキペディア

では、そんな守山城はどんな城なのか?現地レビューです!

まずは高低差

守山城に来た時、最初に思うことは高台にあるという事。平山城のイメ―ジです。ちなみに規模は東西に約58m、南北に約51で、四方には堀が巡らせてあったと伝わります。

山を登ると宝勝寺というお寺と住宅地に出ます。

住宅地の駐車場の裏側が高台になっており、かつての曲輪(本丸?)もしくは物見台を想わせます。

頂上付近から周辺を見ても下り坂、つまり高いところにある事がよくわかります。

守山城の石碑。この石碑をめざして城巡りしている人もいるでしょう。石碑があるのと無いのでは大きく違いますからね。

守山城の堀跡。小山の頂上みたいな場所にある守山城ですが、堀跡も残っておりました。

現状竹林みたいになっていますが、ハッキリと分かります。

守山城跡に建つ宝勝寺。このお寺を目標として行けば守山城内に着きます。

私の感想

守山城は天守などの豪華な飾りは無く、土の城ですが、愛知の戦国史のなかでも非常に重要な現場ということで、私は要チェックだと思います。

なぜかというと、もし清康がここで亡くならなければ、その後の日本史にも影響していたと思われるくらいの人物だったからです。

よく言われるのが、『松平清康が後5年生きていれば天下を取れた』という言葉ですが、さすがに5年で天下は無理でしょう。

でも享年25なので、人生50年の戦国時代においては、ちょうど折り返し地点。

だから三河統一後、尾張の織田氏、駿河の今川氏とどういった駆け引きを行っていたのか?というのが最大の魅力というかIFでもありますね。

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