鳴海城そして包囲していた丹下砦、善照寺砦、中島砦をセットで巡る方法

桶狭間合戦で岡部元信が守った鳴海城と、それを包囲していた織田方の丹下砦、善照寺砦、中島砦らをセットで巡る方法を説明します。

これらの史跡は、私も史跡散策会や個人的な史跡案内でより使うコ-スです。

というのも、これらの史跡は信長公記に出てきますし、鳴海城を中心に織田信長が桶狭間へ進軍した丹下砦⇒善照寺砦⇒中島砦という順番で巡る事ができるからです。

あなたの史跡巡りに活用してみてください。

アクセス

まずアクセスですが、電車で訪れる場合、名鉄・鳴海駅で降ります。鳴海駅西口から外に出て、北に進めば坂道になっていますが、その坂道を登ったところが鳴海城です。

あと車で来た場合の駐車場ですが、鳴海駅周辺にコインパーキングがあるので、鳴海城と周辺史跡を巡る時の駐車場として利用できます。ともあれここから歩いて鳴海城を目指します。

鳴海城二の丸

鳴海駅を出て北に歩き、坂を登ったところに鳴海城址がありますが、まずは天神社という神社、ここが鳴海城二の丸なんです。

もともとここには成海神社(なるみじんじゃ)があったのですが、応永年間(1349~1428)に安原宗範が鳴海城の前身の城となる根古屋(ねこや)城を築く時、ここの鳴海神社を強制的に移動させ、その址に築城しました。

ということで、この場所はもともと神社の跡地なんですね。

>>鳴海城二の丸の地図

階段を上がると、史蹟鳴海城址という石碑があり、名古屋市教育委員会の案内看板もあります。あと枯れていますがご神木も残っています。

ちなみにこの周辺の住所は、鳴海町城という名前で、鳴海城からとった地名なのでしょう。

近くには名鉄協商パーキングもあります。鳴海城の本丸は公園として整備されていますが、公園の専用駐車場というのがありません。もし車で鳴海城近くに来る場合、この駐車場を利用すると良いです。

>>鳴海城最寄りの駐車場の地図

鳴海城本丸

そして鳴海城の本丸跡は、鳴海城跡公園になっています。二の丸と本丸の間に県道242号線が走っており、城址を分断しているんです。

ちなみにこの公園は、二の丸がある東方向以外、つまり北、西、南は低くなっており、この高低差も鳴海城を偲ぶ事もできます。

>>鳴海城本丸の地図

東福院

鳴海城を北に抜けて阪を下ると、東福院というお寺がありますが、ここの山門はかつての鳴海城の廃材を使用しています。この木材は鳴海城の歴史を見てきたのでしょうね。

>>東福院の地図

成海神社

もともと現在の鳴海城跡の場所ににあった成海神社ですが、応永年間(1349~1428)に安原宗範が鳴海城の前身の城となる根古屋(ねこや)城を築く時、現在の場所に移されました。

鳴海城から丹下砦に行く途中にあります。

>>成海神社の地図

丹下砦

信長公記によると桶狭間合戦の時、上知我麻神社神社(かみちかまじんじゃ:熱田神宮のこと)で戦勝祈願をした信長が最初に入った砦が丹下砦になっています。ここでも兵を集結させたのでしょう。

光明禅寺というお寺の裏側が丹下砦といわれていますが、砦時代の遺構は無く、石碑や案内看板などもありません。

しかし丹下砦でチェックするポイントがあります。それは高低差です。

丹下砦を西側から見ると、かなり高台にある事がわかります。つまり丹下砦は高台の台地状の場所にあった砦だったんですね。

ちなみに丹下砦のすぐ西側には県道222号線が走っていますが、この道は江戸時代の東海道を整備したものです。

>>丹下砦の地図

善照寺砦

丹下砦を出た信長が次に立ち寄ったのが善照寺(ぜんしょうじ)砦です。桶狭間合戦の時は佐久間信盛と弟の信直が守りました。信長公記によると、この善照寺砦は今川方から監視されていたみたいです。

善照寺砦の現在の住所は、名古屋市緑区鳴海町砦3というそのままの住所で、砦公園がその場所です。

ここも高台にあり、周辺を見渡すことができますが、この高低差のほかにチェックしておきたい遺構があります。それが鳴海城との堀切跡です。

今川方の鳴海城(鳴海小学校の西側)と、織田方の善照寺砦は地続きで、その間に堀切が掘ってあったそうです。その遺構が鳴海小学校のすぐ東側にある道。

県道36導線の【鳴海小東】の信号から南に入った道です。

現在ではこんなカンジですね。左手側が鳴海小学校でその先に鳴海城ああり、右手側が民家でその先に善照寺砦があります。今見ても谷状(掘状)になっているのが分かりますね。

>>善照寺砦の地図

中島砦

丹下砦⇒善照寺砦と駒を進めた織田信長は、最後の中継基地である中島砦に入ります。信長公記によると、もともとこの地には村があったそうで、その村を中島砦に改造して合戦に利用しました。守将は梶川高秀。ちなみに中島砦の読み方ですが、(なかじまとりで)です。

中島砦は丹下砦や善照寺砦とは違い、平地にあるので高低差を利用した防御ができません。

ではどうやって守っていたのか?

それは天然の堀、つまり川の流れを防御に活かしていた砦なのです。

現地の案内看板を見ると、川が流れてその先がVの字みたいに割れ、その先端に中島砦があるのがわかりますね。戦国時代から川筋が変わっているのかどうか分かりませんが、これらの川を防御に活かしていたと思われます。

逆からみた中島砦の画像。左手が本流の扇川で、中央の建物が建っている場所が中島砦、そして右側の支流が手越川(てごしがわ)です。2つの川に守られていますね。

こちらは中島砦の石碑。【中島城】になっていますが中島砦です。この石碑は民家の裏庭みたいな場所にあり、地主の方のご厚意で見学することができます。

あまり騒がすに速やかに見学したいですね。

>>中島砦の地図

中島砦の堀跡推定線

中島砦には堀跡の推定線といわれているものがあります。川で守られていた反対側には堀があったと考えられています。これはあくまで推定線なので、今後の研究に期待したいですね。

そして江戸時代には、中島砦跡の真ん中を東海道が通り、現在でも名残りがあります。

所要時間と私の感想

鳴海城とそれを取り巻く織田の砦群の史跡散策、いかがでしたか?このコ-スなら鳴海駅を出発し、中島砦を見終えたら、また鳴海駅に帰ってくる事ができるんです。

ちなみに所要時間は約2時間。これはあくまで目安で、各史跡で写真を撮りまくったり、滞在時間が長くなれば、所要時間も長くなります。

あと私の感想ですが、このコースは信長公記に記載がある、信長の進軍路と同じなので、織田軍気分で巡る事ができるのが一番大きなポイントですかね。

中島砦を出発した後、いよいよ桶狭間に到着する織田軍。

合戦直前の城砦をイッキに巡り、その後に緑区と豊明市の古戦場に行くという1日コースも楽しめますね。

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