豊臣五奉行だった浅野長政生誕地の石碑が残る北名古屋市霊松寺

 

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北名古屋市にある霊松寺(霊松禅寺)がある場所周辺は、豊臣五奉行だった浅野長政の生誕地といわれています。

■霊松寺の場所の住所■

北名古屋市北野天神35

>>霊松寺の場所の地図

浅野長政といえば豊臣秀吉の親戚というイメージがありますが、なぜ愛知県北名古屋市が生誕地なのか?実は深いワケがありました。

もとは安井さん

浅野長政は天文十六年(1547)、安井重継の子として尾張国春日井郡北野で生まれたといわれます。この場所が現在の霊松寺が建つあたりです。

当時、織田信長の弓衆だった叔父・浅野長勝に男子がおらず、長勝の娘・やや(彌々)の婿養子として浅野家に迎えられ、後に家督を相続します。ちなみにこの時は長吉と名乗っており、長政と名乗るのはもっと後のことです。

五奉行ではなく六奉行

現代では豊臣政権を支えた5人の奉行衆を五奉行というと思われがちですが、当時はこの五奉行という呼び名はなく、【奉行(ぶぎょう)】、【年寄(としより)】などと呼ばれていました。

また関ヶ原合戦で西軍をまとめた石田三成が、五奉行筆頭と思われてもいますが、そういった証拠は残っていません。

あと人数に関して興味深いエピソードがあります。長政は豊臣秀次事件で一時期失脚するのですが、長政に代わり、宮部継潤と富田一白が政務を担当していた事もありました。こうすると六奉行ということですね。

これが生誕地の石碑

霊松寺の入り口にある贈従三位浅野長政公誕生地の石碑。つまり生誕地という意味です。

茂みの手前に建っており、夏は生い茂っている事もたまにあるので見過ごしそうですが、これも貴重な石碑だと思います。

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