森蘭丸の兄・森長可が長久手合戦で討たれた現場!それが長久手市の武蔵塚

長久手市の武蔵塚は、天正十二年(1584)の長久手合戦で、羽柴軍の武将・森長可(もりながよし)が討死したといわれる場所です。

■武蔵塚の場所の住所■

長久手市武蔵塚905

>>武蔵塚の場所の地図

本能寺の変で織田信長と共に亡くなった森蘭丸の兄・森長可。彼は池田恒興の娘婿で、舅(しゅうと)の池田恒興と共に羽柴軍として合戦に参加していました。そして岡崎攻撃隊の第二軍として岡崎に向かっていたのです。

しかし先鋒の池田恒興が岩崎城を落とし、休憩している間に徳川家康から攻撃を受け、そのまま長久手合戦が起こります。

その合戦で長可が亡くなった場所といわれるのが武蔵塚です。

また武蔵塚の名前の由来ですが、長可は武蔵守(むさしのかみ)という官位を授かっていたので、その官位から付いた名前だといわれています。

かつての長久手の景色

名古屋市に隣接する長久手市は、2005年の愛・地球博前後から急速に開発が進んでいますが、武蔵塚周辺は鬱蒼(うっそう)とした森になっています。

ビルや近代的な住宅が広がる長久手市ですが、かつてはこの武蔵塚周辺の様な景色だったのでしょう。

そして武蔵塚。石碑が2つ建立されています。

ちなみにここは森長可の墓ではなく、討たれた場所なので、長可の首とか遺体が埋まっている訳ではありません。

合戦図屏風では、額を火縄銃で打ち抜かれ、落馬する様子が描かれていますが、その現場がまさにココという事です。

裏側(西側)に回ろう

武蔵塚で気になるポイントがあります。それが裏側(西側)。

武蔵塚の西側は古戦場通りという道になっていますが、ここから武蔵塚を見ると高台になっています。つまり武蔵塚からは西側が開けてよく見えるのです。展望が良い。

もしかすると、武蔵塚があった場所は森長可の本陣が置いてあった場所だったのかもしれません。

ちなみに武蔵塚がある場所の住所は武蔵塚。そのままですね。

戦国史に詳しい方なら、森長可が亡くなった場所に由来する地名というのがピン!ときますが、何も知らない人は、

『武蔵塚?宮本武蔵と何か関係あるの?』

なんて、混乱してしまうかもしれません(笑)

森武蔵守長可(もり むさしのかみ ながよし)が亡くなった場所という事で武蔵塚という地名が付いたのでしょう。

長可の遺言

さて、森長可は岡崎城攻撃(三河中入り)の出発する際、次の様な遺言を残しています。

・自分の死後、母は京(京都)に住まわせてほしい

・娘は武士ではなく京の町人に嫁いでほしい

・自分の跡目を幼い弟に継がせず、秀吉の側で奉公させてほしい

この遺言を見ると、武士としての森家の存続がどうのというより、残された家族は平穏に暮らしてほしいという旨が伝わります。

長可は鬼武蔵と呼ばれるくらい戦に強く、イケイケの大将だったのですが、武士としての厳しさを肌身で感じており、家族には戦に出るような武士になってほしくないと思っていたのかもしれません。

私の感想

さて、私の武蔵塚の感想ですが、ここは長久手古戦場公園からも徒歩3分ほどで訪れることができる史跡なので、セットで訪れる事をオススメします。また裏側(西側)の高低差は要チェックですよ!

あと武蔵塚を含め、周辺には駐車場がありません。

なので古戦場公園に車を停めて、徒歩で周辺の史跡を巡った方が、駐車場を探している時間よりも早いかもしれません。

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