岡崎三奉行のひとり天野康景の生誕地と考えられる居城・幸田町の三河坂崎城跡

愛知県額田郡幸田町(ぬかたぐん こうたちょう)の坂崎城址は、徳川家康が永禄年間(1558~70)に設置した岡崎三奉行のひとりである天野康景の生まれた場所、そして居城といわれる場所です。

■坂崎城址の場所の住所■

愛知県額田郡幸田町坂崎平蔵脇95

>>坂崎城址の場所の地図

天野氏は康景の祖父の代に三河に来て、松平清康(徳川家康の祖父)に仕え、この地に勢力を伸ばしました。

そして天文六年(1537)年、康景が生まれ、十一歳の時から家康に小姓として仕え、姉川の戦いなどで戦功を上げます。

そして関ヶ原合戦の翌年、慶長六年(1601)には駿河・興国寺城1万石の大名になりました。

その天野康景の生誕地、そして三河時代の居城といわれているのが幸田町にある坂崎城址です。

天野康景が生まれたといわれている坂崎城跡は現在、神明社になっていますが、敷地の中に天野康景邸址という石碑が建立されています。規模からいって館城ですね。

でも神明社は周辺より少し高い場所にあります。これは坂崎城跡の高低差。

武将の館跡といっても、敵から攻められる事も考えられるので、周辺を見渡すことができる高台、または防御しやすいということで高低差がある場所にあったのでしょう。

天野康景邸跡の現地看板。ここには天野康景の天野氏の事や、康景の活躍について記載されています。

ちなみにこの看板を見ると、天野康景は当初、景能と名乗っており、後に徳川家康から【康】の字をもらったという事が書かれています。

つまり天野康景の【康】は、徳川家康の【康】なのですね。

私の感想で天野康景は三河武士の中では、あまり知られていないものの、家康の家臣団の中では重要な人物のひとりだったと思います。

なぜかというと、康景が就任していた三河三奉行を表す言葉に「仏高力、鬼作左、どちへんなきは天野三郎兵衛」というのがあります。

この中で【どちへんなき】(慎重)というのが康景を示す言葉なのですが、他の二人とのバランスをとる様な性格だったともいえるのです。

つまり必要な人物という事ですね。

戦での華々しい活躍のエピソードなどは残っていませんが、行政や内政で力を発揮した人物だったのでしょう。

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