名古屋市西区円頓寺商店街の織田信長、豊臣秀吉、徳川家康像の場所!

名古屋市西区に歴史が深い商店街があります。それが円頓寺(えんどうじ)商店街です。円頓寺商店街は歴史ファンにオススメな商店街です。ではなぜおすすめなのか?その理由をチェックしてみましょう!

■円頓寺商店街の住所■

名古屋市西区那古野1丁目6-10

>>円頓寺商店街の地図

清洲越しの移転先

名古屋城が築かれる前、尾張の中心地は清洲城がある清洲でした。しかし名古屋城が築かれた慶長十五年(1610)には清洲の首都機能はもちろん、城下町をそっくりそのまま名古屋城に移転したのです。これを清洲越しといいます。

この時の引っ越しは徹底していて、寺社はもちろん、商人の屋敷や地名、そして橋までも移転させられました。現在、円頓寺商店街の東には五條(五条)橋が架けられていますが、これは清洲にあった五条川に架けられていた五条橋を移転させたものなのです。現在では鉄筋コンクリート造りになっていますが、この橋も清洲から移されたものなのですね。

最初の城下町

清洲越しで商人たちが移り住んだのが、現在の四間道(しけみち)周辺だといわれています。ここは元禄十三年(1700)の大火で1600軒余りが焼失したのですが、その後、尾張藩四代藩主・徳川吉通が、堀川沿いにある商家の焼失を避けるため、道幅を四間(約7m)に拡張しました。このことから四間道と呼ばれるようになったという歴史があります。現在でも土蔵や古い商家が残っています。

肝心の銅像の場所

さて、そんな円頓寺商店街ですが、肝心の銅像はというと、円頓寺の西にある交差点の角に集中して建っています。今回のレビューのメインはこれですね。

織田信長

まずは織田信長。南蛮同具足に火縄銃といった定番スタイルです。銅像なのですがなぜかしら金色になっています。

豊臣秀吉

こちらは関白・豊臣秀吉。秀吉は大阪で人気なので大阪出身と思われがちですが、実は出身は名古屋市中村区なんです。この姿は尾張時代の農民ではなく、すでに関白になった後の姿ですね。ちなみに色はシルバー(銀)です。

徳川家康

愛知県岡崎市出身の徳川家康。なんだか苦痛の表情ですが、これは元亀三年(1573)に武田信玄に敗北した三方ヶ原の戦い後に自分の姿を描かせた、しかみの表情なのでしょう。でも虫歯で苦しんでいるような銅像ですね…

先の副将軍…

そしてもうひとつの角を見ると…あれ?これはもしや徳川光圀(水戸黄門)では?なぜここに時代が違う水戸黄門がいるのは謎ですが、まあ、これはこれで楽しめる銅像だと思いました。

私の感想

私の円頓寺商店街の銅像の感想ですが、建立された理由はともかく、これも円頓寺商店街の名物になるのではと思います。なぜかというと、非常に個性的な銅像ですし、水戸黄門を除く三人は愛知県ゆかりの人物でもあるからです。

また円頓寺商店街は堀川クルーズをはじめとする定期的なイベントが多く、愛知県、そして名古屋市も観光対策に力をそれなりに入れています。イベントがてら立ち寄った時、これらの銅像もチェックしてみると良いですね。

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